非天夜翔 山有木兮 翻訳の練習 197-200

非天夜翔が好きすぎて自分が読むために200話翻訳しました。万が一同じような趣味のかたが読んでおもしろいと思って下さったら是非原作を正規のルートで手に入れて読んでみてください。営利目的ではありません。要求があれば、すぐに削除します。

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第197章  金の玉簪:

 

姜恒は馬に飛び乗ると、界圭の方を向いて言った。「界圭、見てよ。彼はこれを私に返してくれたんだよ。」

界圭も騎馬した。「玉玦の片割れは人を喜んで死に向かわせます。よく話しあった方がよかったのでは。」(多分誤訳。你还是太好説話了点でした。)

「昔、あなたも片割れが欲しかったんじゃない?」

「言うまでもないでしょう?そりゃすごく欲しかったですよ。でもお父上はそれを耿淵に与えたんです。まあいいです。瞬く間にこんなに月日が過ぎてしまいました。もう折り合いがつきましたよ。」

 

宋鄒が兵を指揮する。界圭は姜恒に振り返って見るように合図した。汁瀧に扮した姜恒は武衣の上に甲冑をつけている。振り返って遠くを望むと、本物の汁瀧が一群の臣下を率いて、王宮高所から、彼らを見送っていた。

かつて、姫珣に襲い掛かって来た人たちから、天子を守って逃がすことができたらと姜恒は思っていた。それが、どんな運命のいたずらか、時が瞬く間に過ぎる中、大きな輪を描いてきたかのように、こうして原点に戻ってきている。

「全ては天意で決まっていたんだな。」姜恒はつぶやいてから、声を上げた。「皆の者、武器を持て!天子に続け!行くぞ!進軍だ!」

 

号令の角笛が鳴り響く。姜恒は、生まれて初めて、天命を象徴する玉玦を身に着け、兵を率いて戦場に馬を走らせている。大通りを埋め尽くしていた御林軍は、新たに天子となった王君自らが出陣し、軍を指揮して彼らの中に入って来るのを見てどうしていいかわからない。

「止めろ!兵を集めて彼らを止めるんだ。陛下が危険だ!」衛賁は怒号をあげた。

 

同じころ、北門からも混乱した様子が伝わって来た。汁瀧たちも動き出したようだ!

御林軍が大勢そちらに向かった。北門には、彼らの目当てである、「姜恒」がいるからだ!一瞬にして御林軍数千人がいなくなり、彼らの圧力は軽くなった。

「彼らを追い払え!」

姜恒の目的は衛賁周辺にいる兵を動かすことだ。そうすれば衛賁と接近戦ができる。彼一人と決戦し、死に追いやれば御林軍は抑えられる。作戦は成功し、大通りから御林軍はどんどん減って行く。皆「姜恒」を追いかけて行ったのだ。

界圭が叫び声を上げた。「お父上に習ってはいけません!的となって先頭をいくなんて!」

 

ーーー

ちょうどその頃、北門では、姜恒に扮した汁瀧が人生最難の包囲突破を試みていた。

趙慧は剣を出さず、ただ汁瀧を守り、彼を乗せて狂ったように疾走している。後ろには万を超える御林軍が後を追ってくる。

二人は一騎に相乗りしている。汁瀧は振り返らずにはいられない。趙慧が叫んだ。

「しっかりつかまって!陛下!」

趙慧はまだ十四歳だ!まさかこの娘に救われるとは。乱軍の中、二人はぴったりとくっついている。郎煌率いる弓隊が、屋根の上から射撃を始めた。

「この辺でもういい?!」趙慧が尋ねる。

「もう少し遠くまでだ!」汁瀧が叫んだ。

「あんたの御林軍を殺してやりたいわ!」

「まずは自分を守ることだよ!」

次の瞬間、彼らはついに行く手を阻まれた。千万の御林軍に包囲され、郎煌の部下たちも引き上げた。

「あなたって本当に……。」趙慧は矢を防ぎ、敵を突破し、背後の汁瀧を気遣わねばならず、疲れて息がはあはあと乱れている。

「本当に何?役立たずの本の虫だって?」汁瀧が尋ねた。

「今のは私が言ったんじゃないわよ。ああ武術を習っておいてよかった。」

「彼らが私を殺そうとしたら」汁瀧は趙慧の耳元でささやいた。「私にかまわず君は逃げて。それから私の仇をうつのもなしだよ。」

 

言うや否や、汁瀧は馬を降りた。御林軍は一斉に弓矢を構え、矢先を彼に向けた。

一歩、二歩、汁瀧は何も恐れていない。彼の背後に天下の何千何万の民がついていて勇気を与えているかのようだ。彼は歩きながら、姜恒の作戦通り、自分の顔から変装を解くと、御林軍の前に誰もが見慣れたその顔をさらした。

「私が誰だと思っている?」汁瀧は笑った。「射つなら射てばいい。私が死など恐れないと、君たちはもう知っているだろう?」

趙慧は目を見張って汁瀧を見ていた。そして知った。この男性は武力は強くなくても、姜恒に負けない勇気を持っている。そして彼の身には強大な力が宿っていた。それは天子の威厳だ。その威厳の前では誰もが罪など犯せず、ただ服従するのみだ!君主の威とはそういうものなのだ。そこにいた者たちはみな凍り付き、刹那その場は静まりかえった。

 

ーーー

城南では、姜恒が剣をふるい、敵を馬から切り落としていた。界圭が兵馬の流れにのまれて二人がはなれると、姜恒への攻撃は熾烈さを増した。界圭は馬の背から飛び上がり、双脚を伸ばして空中で身を翻し、城壁の側面を蹴って、姜恒の傍に飛びおりてきた。

だが兵士の一人が先に近づいて、姜恒を抱えて馬から落とした。姜恒は剣から手を放し、衛兵に抱え込まれて、城壁の傍に押し付けられた。衛賁が急ぎ足に近づいてくると叫んだ。

「陛下に対し無礼であろう!」

衛賁は髪を振り乱した「汁瀧」が別人だとはまだ知らない。軟弱な汁瀧が自ら転がり込んできたことだし、姜恒もすぐに手に落ちるだろうと思っていた。兵士は姜恒を放した。姜恒が身に着けた王服は乱れ、甲冑も脱げて剣も傍らに放り出されていた。

 

界圭は城の上に飛び上がり、衛賁との距離を測って敵に一剣与える準備をした。

姜恒は片手を腹部に当て、もう一方を壁において、はあはあと喘いだ。

衛賁が五歩離れたところから言った。「陛下、これでおわかりになったでしょう。彼はあなたを死に追いやり、自分は逃げたのですよ!」姜恒は頭を上げて衛賁を見上げた。衛賁は突然、彼の目つきが何かおかしいということに気づいた。

「私はここにいるけど。」そう言って姜恒は手を伸ばした。きらりと何かが輝いた。それは姜恒が肌身離さず持っていた玉簪だった。

衛賁が姜恒の動きに気づく前に、玉簪は手を離れ、音もなく、飛んで行った!そして太子霊の竹籤より更に早く、相手の喉を突いていた。

玉簪が喉に刺さった衛賁は大きく目を見開いたまま気を失い倒れた。

「私は姜家と大刺客たちに育てられたんだ。そりゃもう骨の髄まで刺客ってことだ。」姜恒は瀕死の衛賁に向かって言い放った。「お前ごときにかなう相手だと思ったかい?」

 

主帥を失った御林軍は瞬時に大騒ぎとなった。界圭は城壁に飛び上がり、姜恒に手で合図をした。『きれいに決まりましたね!』という意味だ。

「これが初めての刺殺ですね。羅宣に替わって私が認めましょう。これでもうあなたも刺客の仲間入りです。」(いいことなの?)

「初めての刺殺成功と言って。」姜恒が訂正した。

だが事態は収拾してはいない。御林軍はどうしていいかわからずにいる。姜恒は玉玦を取り出して、叫んだ。「天子玉玦ここに在り!従わぬものはおるか!」

「天子より命ありーーーー!」御林軍の信使が城門に向かい叫んだ。「止めよ……。」

御林軍はどうしていいかわからずにいた。北に向かった軍はすでに汁瀧に収められている。衛賁がいなければ、誰が汁瀧に手を下そうか。彼らは一生を王室に従って生きてきた。汁瀧に矢を放てる者などいない。衛賁でさえ、汁瀧を前にすれば、捕えはしても傷つけることなど考えもしなかったのだ。

 

姜恒は状況を見て、どうやら本物の汁瀧はうまくやったようだ、と判断した。

「界圭は御林軍を引き継ぎ、城を守れ!」

地響きが近づいて来る。ついに李霄の大軍がやって来たようだ。姜恒は叫んだ。

「何をぼんやりしている?!目の前に外敵が来たのだ!裏切り者はいるか?!界圭!

再び騒ぎを起こす者がおれば、衛賁の後を追わせよ!」

御林軍ははっと目が覚めたようだ。界圭はずっと宮中に仕えてきて、御林軍にとってはなじみがある。すぐに千長夫や百長夫に招集され、全員が城壁に上がり、衛賁からの服務を解除して、持ち場についた。

「まだ誰もあなたに気づいていないのですね。」界圭は城外を望んだ。大軍が大地に雲が沸き上がるかのように近づいて来る。これは代国が国を挙げて臨んだ決勝の戦いだ。雍国を落とせれば、李霄は天子になれる。だが彼は出鼻をくじかれ、初めに二十五万の駐留軍を漢水に沈められた。李儺に託された兵は、耿曙の四万の兵に叩き潰されたのだった。

もう危険は冒せない。嵩県を奪い取った後は、雍の援軍が戻る前に洛陽を落とすしかない。

決戦の時は来た。姜恒は遠くを望んだ。七年前に戻ったかのようだ。あの時と同じ場所で今にも決戦が始まろうとしている。

 

「私が李霄を連れ出して、もう一度不意打ちして彼の喉に玉簪をお見舞いしてやろうかな。」

姜恒が言うと界圭は、「考えるのもダメですよ。私に任せてください。あなたのために出陣させてくださいよ。」と言った。界圭は軍の制服と甲冑に着替え、弓矢を背に負い、烈光剣を腰につけていた。別れ際、彼は姜恒に目を向け、何か色々と言いたげだったが、結局何も言わず、声を出さずに唇を動かした。『私の琅児』と言ったようだった。

 

李霄は軍から前に出て朗らかに言った。「汁瀧はどこだ?姜恒はどこにいる?さっさと出てこい。お前たちの大軍は、すでに……。」

その瞬間、洛陽城門が突然開かれた!

界圭が彼に話す間を与えず、御林軍一万を率いて、狂犬のように飛び出してきた。

姜恒は初めて界圭が兵を率いるのを見たが、その作戦は本人と同じく、羊の群れに飛び込む虎のように、己の命を微塵も顧みないものだ。当然ながら、兵士たちの命もだが。

 

李霄は話し終えるまもなく急いで馬の顔を後ろに向け、大慌てで大陣の中に逃げ帰った。角笛が鳴り、十万の大軍が押し寄せてきて、界圭と御林軍に突き当たる。

姜恒は城頭に上って叫んだ。「撃鼓を叩け!彼らに指揮しろ!敵右翼を襲撃せよと!」十万の大軍に当たり、御林軍は大海に飲まれたかのようになった。だが城門高所から、鼓がなって彼らに方向を示した。その時兵士が姜恒に一枚の紙きれを持ってきた。

「界大人が出陣前にあなたへと託されました。」姜恒が開くと、一行だけ書いてあった。

「私の使命は終わった。恒児、私の出征に乗じて城を捨てて逃げろ。わかったね。」

姜恒は戦鼓の前で足を止め、城下を眺めた。十万の大軍が界圭率いる御林軍を蹴散らしていく。後陣で角笛が響き続けていた。

その時、姜恒が変装をとった。兵士たちは驚いた。「姜……姜大人?!」

「私について出陣せよ。今日の私は汁炆だ。」

 

城門外の防戦は界圭率いる雍軍に一里近く押し出されている。かれこれ十年来初めて、李霄は雍軍と正面切っての戦いに挑んだ。十万という大軍のせいで思考が麻痺していた彼は、ここにきて中原の蛮勇を自称する敵軍の実力を甘く見ていたことを思い知った。

 

界圭は命がけで戦っていた。自分の使命は完了し、今はただこの戦いに命を捧げることで最後の願望が成し遂げられると思っていた。

だが、姜恒はそんな望みをかなえてやるつもりはない。角笛が鳴って城門が大きく開き、最後に残った八千の御林軍が洛陽城の守りを捨てて一気に攻撃に出てきた!

界圭は顔に着いた血をぬぐって振り返った。天空の下で翻る王旗とともに、「汁」と書かれた大旗が寒風になびいている。その時、洛陽城に鐘の音が響いた!鐘の音は九回鳴らされた。

天子御駕親征を示す鐘の音だ!たちまち御林軍の指揮は高まった。一気に戦場に投じられた最後の八千は姜恒指揮のもと、わが身を顧みず進む。李霄は戻しかけた戦線を再び押し返される。代軍後陣で鼓が鳴り響き、十万の兵が津波のごとく押し寄せてきた。

「城を捨てろと言ったでしょうーーー!」界圭が怒りの声をあげた。

「今捨ててきた!」姜恒も叫び返した。

「死にますよーーー!!」界圭が吼える。

「父はあなたに借りがある!死ぬしかないなら死ぬだけだ!みんな一緒に死ねばいい!」

戦場は混乱を極めた。姜恒は注意を払うが、李霄を見つけられない。まずは自分の身を守らねば。だが、二万の兵は李霄の大軍の敵ではない。全面的に潰されそうな状況を見て、洛陽に逃げ帰ろうとした、その時:

援軍が来た。

 

角笛が天際に鳴り響く。雍国の援軍がついにやって来たのだ!

御林軍たちは遠方を望んだ。洛陽王宮で鐘が鳴り、城門では鼓が叩かれた。激鼓に、遠い後陣からの角笛が呼応しあう。雍軍数万の鉄騎が地を踏み鳴らし、数万の戦馬の蹄鉄が大地を鳴らす。鼓のように、胸の鼓動のように、神州大地を叩く激鼓は、天を驚かせ地を動かす大楽曲を奏でているかのようだ!

 

「援軍がきた!」姜恒は顔中を血だらけにして叫んだ。「突撃!我と共に突撃せよ!」

黒い王旗がたなびいている。姜恒は武英公主汁綾の軍だろうと思っていたが、その漆黒の大旗には別の一文字が書かれていた。:聶

耿曙は天から降臨した神兵のように僅か数日で西川腹地を抜けて、漢中路に沿って追跡し、四万の雍国精鋭とともに李霄に追いついた。そして今、その後陣に攻撃をかける!

兵たちの歓喜の声が聞こえる。「聶」の字の書かれた王旗は天意のようだ。どんなことが起ころうと敵を一掃する、耿曙の帰還ほど心強いものはない。兵たちの叫び声で眩暈がしそうになりながら、姜恒は熱く血をたぎらせ、軍を率いて突撃していった!

耿曙は大軍を四つに分け、李霄の代軍の背を突いて、十万の兵を挟み撃ちにする。姜恒の軍は敵の主力に向かう。界圭がそれに従う。「汁」王旗と「聶」大旗はどんどん近づいて行って、最後には一緒になった。

 

耿曙は鉄鎧に身を包み、兜をつけている。甲冑の重さは百斤近い。跨る戦馬も鉄甲をつけ、軽々と敵を吹き飛ばす。黒剣は鮮血にまみれ、血の海の中の修羅のようだ。

姜恒には彼の顔は見えなかった。だが空が明るくなり、黒鎧の将軍が目に入ると、その姿をじっと見つめた。耿曙は高い馬の背に騎って、ゆっくりと体をよじり、彼に目を向けた。混乱極める戦場、死体があふれる中、馬に騎った姜恒と耿曙は遠くから見つめあった。それから、朝焼けの光の中、姜恒は笑みを浮かべた。耿曙が彼に向かって手を伸ばすと、甲冑がガチャガチャと音を立てた。

 

姜恒は馬から飛び降り、彼に向かって走った。そして、耿曙に引っ張り上げられ、ひらりと馬の背に飛び乗った。耿曙は馬を走らせ叫んだ。「王旗についてこい!我とともに李霄の首を取りに行くぞーーー!」

 

たちまち耿曙の旗の下、御林軍と雍軍が集結し、六万の兵となった。彼は姜恒を載せ、黒剣を持って、乱軍の中、李霄の禁衛軍に向かって突撃して行った!

「どうしてあなたなの?!」姜恒が大声で言った。

「俺は行かなかったんだ。」耿曙は甲を押し上げ、英俊な横顔を見せた。「漢中で代軍を破った後、秘密裏に帰路に就いた。ちょうど今城外についたばかりだ。

「伯母上は?」

「西川城外に着いた頃だろう。」

 

ーーー

その日、夜が明け始めた頃、汁綾は漢中平原を経て、代国内地に侵入した。曾宇率いる別動隊も潼関の険しい道を越えて、急行軍に西川城に攻め入っている。

西川は百年来の大戦を迎え、城下には血の河ができていた。李儺が何度も送った援軍が城外で押さえられたのだ。汁綾は兜を脱いで、西川城門に向かって叫んだ。

「姫霜!さっさと降参しなさい!」

姫霜は軽い皮の甲冑を身に着け、城門高所に立って、深く息を吸い、弓隊に向け叫んだ。「矢を放て!雍軍は僅か六万だ!城は破れない!」

汁綾は冷淡に言い放った。「後ろを見てみたら?」

汀丘から太子李謐を救い出した後、姜恒と耿曙は逃げる途中で、干上がった河道の奥にある密道を通った。その密道が今回役に立った。この密道を知る者は姜恒、耿曙、界圭、周游の四人と李謐自身だけだった。姫霜は李謐を罠に嵌めて殺した因果で、最後の勝算を失った。たちまち西川城内は大混乱となった。姫霜は振り返って、その全てを見つめた。

建物には火がつけられ、何万もの雍軍が秘密裏に入城し、城内要地を占拠していた。

「潔くなさい!城を開けて投降するのよ!ぐずぐずしても仕方がないでしょう!兄は死んだ。あなたたちを亡国の憂き目にあわせたりしないから。当然車輪斬りもね!」

山九響、洛陽王都から遠く離れたところで告げられた。西川が陥落したと。

 

 

 

ーーー

第198章 万里江山図:

 

洛陽城外の戦場では、雍軍の士気がこの上なく高まっていた。百年来続いて来た反徒の汚名を返上し、ついに天子のために戦える時が来たのだ。耿曙と姜恒の後ろには、「聶」と「汁」字の王旗が並び立つ。大旗が翻るところには趙竭の英霊が宿るかのようだ。七年前の怒りの炎がそこかしこで上がっている。

雍軍は天崩地裂の勢いで攻め、代軍は全面的に崩れかけている。だが耿曙は容赦しない。「矢を放て!」横を向いて指示を出すと、兜を降ろして顔面を守る。

姜恒も弓をひき、向かい合う敵を馬から射落とす。耿曙は鉄鎧で身を守り、絶え間なく降って来る矢の雨を防いだ。血の霧が漂い、姜恒にはもう周りにどれだけの人がいるのかさえわからずに、ただ耿曙の剣を振る音と、甲冑のこすれる音だけが聞える。

矢を射つくすと、姜恒は耿曙の腰を抱いた。甲冑の上からでも耿曙の体温と剛健さを感じる。

 

界圭は新たな現象に気づいた。:耿曙と李霄の軍が激突しあい、互いに消耗しているようだ。一本の鋭い小刀を赤く錆びた鉄に刺し入れたときのようだ。錆鉄は切れても小刀の方も腐蝕される。鐘の音がやみ、空が暗くなったその一刻、耿曙は姜恒を載せたまま、一騎、李霄の親衛隊の中に突入していった。

李霄はこんなに早く混戦になると思わず、天子の金鎧を身にまとって洛陽に入っていこうとしていたところに、親衛隊の中を突いて、かの黒鎧騎士が現れた。次の瞬間、黒剣が胸を貫いた。「お前は……」胸を剣で突かれ、李霄は吹っ飛ばされて落馬した。

「お前の父に天下一と認められた聶海だ。」耿曙が兜を持ち上げて答えた。

 

 

晋惠天子三六年,代王李霄薨去

代国軍は全面崩壊した。国君が耿曙にうたれると、軍は散り散りになった。復讐を試みた兵も全て御林軍に切り殺された。耿曙は馬を回転させ、空き地の前まで戻ると、後ろを振り向き姜恒に声をかけた。「恒児?」両手から力が抜けた姜恒は馬から降りた。

「みんな死んだな。李霄が最後の一人だった。」耿曙が言った。

姜恒は呼吸が落ち着かず、弓を降ろしてから尋ねた。「何が最後の一人なの?」

「あの時洛陽を攻めたやつらだ。雍国衛卓、鄭国趙霊、梁国笛勛、代国李霄、郢国屈分、大戦の中、死すべき者は皆死に果てた。」

二人は顔を上げて洛陽城を眺めた。激戦の間、耿曙と姜恒は、玉玦を胸に掲げていた。

耿曙は姜恒の首にかかった玉玦を見て、触ろうと手を伸ばしてやめた。甲冑は血にまみれ、手の中にまで滴って来た。姜恒は耿曙の玉玦を手に取った。二人の指が触れ合い、耿曙は自分の玉玦を姜恒の片割れに合わせた。

それから耿曙は何も言わずに姜恒を胸に抱きいれた。二人は静かに洛陽城を見つめた。

鐘の音が停まり、兵士たちが勝利の叫びをあげた。七年の時を経て、彼らはようやく再び天下王都を取り戻したのだった。

 

 

雍軍は中原を修復し、再び洛陽も修繕せねばならない。

姜恒は万里江山図の前に立ち、これで全て終わった、少なくともすぐに終わろうとしていると思った。海東青が西川の報せを持ってきた。汁綾は姫霜を捕え、汀丘に軟禁した。かつての父殺しの挙を自らなぞるかのようだ。いつ開放するかは、朝廷の沙汰を待つとのことだ。

同じころ曾宇も李儺と最後の一戦を交えた結果、李儺を捕えた。西川は今まで通り、李家に返すが、勅令により李儺の軍は解散させることになる。

雍軍は玉壁関に撤退し、二万のみを汀丘に駐留させた。

安陽城内では、梁王畢紹が汁瀧からの引継ぎを終え、梁地の主に戻った。

 

「あとは郢国だな。」姜恒は正殿内にある万里江山図をじっと見た。雍国が天子の位を得てから、江山図の高所には玄武神旗が掲げられた。

六百年の火徳は終わり、水徳へと替わって北玄武が神州大地に鎮座する。

万世に王道あり、千星は天にあり。五徳は輪転し、生きとし生ける。

「郢国は患となるには力不足だ。天下版図に返り咲くには十年は必要だろう。」耿曙が言う。

東は済州と東海、西は塞外、北は賀蘭山、南は江州、今や天下は七割がた統一され、雍国は中原に入り、汁家は今や新たな中原の主となった。

 

「汁瀧は?」耿曙が尋ねた。

「まだ王宮に戻ってきてない。」姜恒は姫珣の御座に腰をかけながら答えた。「私が彼に御林軍をまとめた後は、急いで王宮に戻らなくていいって言ったんだ。趙慧に彼をみるように言ってある。」

「何であいつを走り回らせたんだ?あいつは喜んでやったのか?」

姜恒は口角に笑みを浮かべて言った。「私が彼に行かせたんだ。時には撤退するのも勇気がいる。彼はとてもうまくやったと思うよ。」

「わかった、わかった。」耿曙は苦笑いした。「やつはすばらしい。お前の従兄上だもんな。俺はただのしがない侍衛さ。」

耿曙は陽の玉玦を見た時、何があったかを知った。彼自身はそこまでする気はなかったが、汁瀧の行動は想定外だった。だが、心の中では、結果がどうなったとしても耿曙は彼を一生家族として見るだろうと思っていた。

耿曙は包帯をとった。手は傷だらけだ。姜恒はそれを見て薬をつけてやった。耿曙は少し前のめりになる。口づけを求めているのだ。姜恒は彼の唇に軽く口づけした。

耿曙は彼の顔を押さえて情熱的に口づけする。

「何だ?お前のためにこんなにがんばったんだ。少し口づけするくらい、いいだろう?」姜恒が笑い出すと、耿曙が言った。「服を脱げよ。」

「ここは正殿だ。ご先祖様が見ているよ。晋の先祖も、雍の先祖も。それでもやる気?」

耿曙も少し考えて、何か言い訳を探そうとしたが、確かにご先祖様は大事だ。それは認めるのでやめることにした。

 

「あなたに琴を弾いてあげる。」姜恒は古琴を持ってきて天子卓に置いた。

耿曙は近寄って姜恒の隣に座った。かつて姫珣の隣で趙竭が座っていた場所だ。そして姜恒を自分の胸にもたれさせた。

 

姜恒はゆっくりと琴を奏で始めた。その音の中に、無数の記憶が走馬灯のように駆け巡る。洛陽の楼台、ほの暗い光、炎に包まれた時の趙竭と姫珣が寄り添いあう面影。

耿曙が天井を見上げると、攻撃を受けて壊れた天井から、日の光が落ちてきた。二人は同時に感じた。何かが今去って行ったようだと。千年たっても消えない野心か、高楼が廃墟と化しても梁や棟の中に潜む英霊だろうか。閃く影が琴の音を聞いて大地から現れ、殿内を飛んで行ったようだった。耿淵の影、項州の影、羅宣の影、太子霊の影が……。英霊は万里江山図の上の玄武旗に一礼し、空中で消え去り、何の気配も残さない。

 

その時足音が近づいて来た。界圭が殿内に入ってきて、耿曙と姜恒を見た。

陽光が万里江山図を照らし、暗い紋に描かれた星々と北天七星が煌めいた。

「誰かがここで琴を弾いているのが聞えたから来てみたんですよ。」界圭が言った。

「何でお前が来た?」耿曙が言った。姜恒は笑った。界圭は「汁瀧が戻られました。従兄弟方の間にはまだ清算すべき一件があるんじゃありませんか。」と言った。

耿曙は淡々と言った。「わかっている。」

界圭は耿曙を見た。上半身裸で、下半身には武冑をつけている。懐には姜恒、手は古琴に置き、黒剣を佩いて、玉玦を首からぶら下げている。金璽は彼の前に在り、後ろには玄武神旗がある。

一に金、二に玉、三に剣、四に神座、五に国、六に鐘、七に岳、八に川、九に鼎。

この一刻、耿曙はまるで本当の天子のようだ。こんな覇気、他に誰が持とうか?

 

汁瀧が戻ってきた。群臣と趙慧を連れ帰り、皆を落ち着かせてから、一人正殿にやって来たのだ。姜恒は正殿内で出迎えてから、油灯に火をともした。

汁瀧は耿曙に言った。「帰って来たんだね。」

「生きてな。全部知ったのか?」耿曙が言った。

姜恒は灯をつけてから、耿曙に言った。「下りて。そこはあなたの席じゃないでしょう。」姜恒は耿曙を引っ張り、天子御座の傍から離れさせた。

殿内には三兄弟だけがいた。汁瀧は疲れたように笑って言った。「このごたごたを片付けないとね。玉玦はもう恒児に渡した……炆児……弟弟に。」

「今まで通り恒児とお呼びください。思うに、あなたも好きな人を見つけられたようですね。」耿曙は姜恒を見たが、何も言わなかった。

汁瀧は言った。「そんな話をしないでよ。そんなんじゃ……。」

「何だって?」耿曙は話が見えたが意外だった。「俺が宮中にいない間に何が起こったんだ?汁瀧、お前にも恋人ができたのか?」

汁瀧は恥ずかしくなって話題を変えた。「話をもどすけど、ふさわしい時期を選んで、天下に告知しようと思うんだ。あなたが天子の位を継ぐってことを。」

「雍国は昔から年功序列です。」姜恒はそれ以上汁瀧をからかうのはやめた。「規則に従えば継承権はあなたにあります。」

汁瀧が答えた。「私の父が不正に得た位だよ。」

過去の恨みは二人の間には入り込む余地はない。暫くすると耿曙が言った。「全て終わったことだ。汁瀧、ここ数年、俺だってお前を弟と思うようになってきたんだぞ。」

「そうは見えなかったけど。」汁瀧は笑い出した。

「恨みがましい奴だな。あの時に言った言葉を今でも俺は覚えているのに。」

「いつの話で、何のこと?」

「お前のために出兵した時だ。あの時雍国は初めて関を出ることを決めた。東宮で作戦を決め、打ちに出たのは絶対にお前のためだった。お前を騙すつもりはない、汁瀧。もしお前が恒児を殺そうとするなら俺はお前を殺すしかない。だがお前がそんなことをしないなら、お前は俺の家族だ。」

 

汁瀧は納得し、姜恒に頷いた。「恒児、私は落雁に戻って王祖母に暫く付き添いたいんだ。二都制となったことだし、もし私を信じてくれるなら、私はあなたに落雁の統治を……。」

だが姜恒は耿曙に話しかけた。「ある物が欲しいと言ったら、私にくれる?」

汁瀧は話を止め、不思議そうに姜恒を見た。

「俺の命か?」耿曙は顔を上げて姜恒を見た。姜恒は耿曙を見て、眉をあげた。

「答えて。何でも欲しいものはくれるって。」

「持っていくか?」耿曙は首を傾けて、姜恒に殺せよと示した。

姜恒は耿曙の首に手をまわしたが、取ったのは前に自分で編んだ組み紐と玉玦だった。

耿曙:「!!!」

耿曙は立ち上がると、信じがたい思いで姜恒を見た。何が起ころうとしているかわかったのだ。「恒児……。」耿曙の声は震えた。

「この陰玦を趙慧に渡すのはどうでしょうか?でもまあ、別にかまいません、あなたがあげたいと思った人にあげてください。もうあなたの物ですから。」そして、自分がかけていた玉玦を耿曙のもう一つの玉玦と合わせて汁瀧に向かって歩いた。

汁瀧は姜恒を見て、その意味を知った。

「ちょっと待て、恒児!」耿曙が姜恒を引き留めた。姜恒は耿曙を見たが、決意は揺るぎない。だが耿曙は真剣な表情で言った。「組みひもは俺に返せ。持っていたい。お前が俺のために編んでくれたんだからな。」そして組みひもを受け取ると「行くか。」と言った。姜恒は二つの玉玦を汁瀧の手に置いて言った。

「兄は私がもらいます。天下はあなたに置いていきます。」

「恒児。」

「兄上、あなたはすばらしい天子です。あなたは子供の頃から願ってこられました。良い国君になることを。あなたは善き妻子を持ち、子や孫に恵まれ、その子や孫と睦まじく暮らされるでしょう。それはあなたが全てを与えられる人だからです。どうぞこの天下の民にその愛をお与えください。」汁瀧は姜恒を見つめた。姜恒は数歩下がって、汁瀧に跪いた。耿曙は傍らでその様子を見ていた。ようやく全てがはっきりとわかった。

「天子に拝謁申し上げます。」姜恒が言った。

耿曙:「……。」

姜恒は立ち上がった。「天子安らかなれば、天下は平らかなり。私たちはこれでお別れです。兄上、この天下をよろしくお願いいたします。」

「どこに行くつもりなの?」汁瀧の声が震えた。

姜恒は耿曙の手を牽いて振り返り言った。「私は天下人ですから、勿論いるべき場所にいますよ。」

「恒児!」汁瀧は追いかけた。

 

 

深夜、洛陽城の家々に灯がともった。冬至は過ぎ、万物が生き返る。桃の花が枝に現れ、氷雪は溶けた。

 

「今から私は、あなたのものだよ。」

耿曙は顔を向けて言った。「あの玉玦がお前と交換できるとわかっていたら、もっと早く換えていたのにな。あの頃お前に持たせようとするんじゃなかったな。」

姜恒は大笑いせずにいられなかった。だが耿曙は突然警戒をあらわにした。

「ちょっと待て。頭がおかしくなりそうなこの笛の音は何だ?」

姜恒:「……。」

洛陽城壁の高所で、界圭が城壁に座り、片足を壁に載せ、片足を垂らして笛を拭いていた。悠々と揚がり、ゆるりと回るような笛には、送別の意味が込められていた。それは《詩経》の「桃夭」という曲だ。『桃之夭夭,灼灼其華 之子于歸,宜其室家』

桃の夭夭たる、灼灼たるその華、この子ここに嫁ぐ その家に 幸あることを

耿曙は馬を停めて、姜恒と一緒に高所を望んだ。

曲を吹き終えると、界圭は立ち上がった。長旅に出る服装で、袋を背負い、彼らに向かって拳をつかむ拝礼をした。「天涯海角、また逢う日まで。」

そして姜恒の答えを待たずに、界圭は城楼から飛び降りるとその場を去って行った。

 

道を行くごとに桃の花がだんだんとほころんできた。かつて耿曙と姜恒が潯東を離れ、洛陽に向かって行った時と同じ風景だ。あの時の昭夫人も馬車の中で微笑みながら故郷へと帰って行ったのだった。

「どこに行こうか?」姜恒が尋ねた。

「さあな。桃の花が咲いているところにするか?嵩県はどうだ?それとも家に帰るか?」

 

(少し寂しいけど、姜恒が完全にいなくならない限り、いつかは争いのもとになるもんね。)

 

 

ーーー

第199章 世から隠れ住む:

 

晋惠天子三十六年、汁瀧が天子を引き継いだ。四国は新たな支配者の下に来朝し、通貨も統一された。洛陽は四国の国境を廃し、戦争を止めた。諸侯たちは再び封地を治めた。天下の年号は雍太戊元年と改められた。四国の官員は洛陽に集められ、

太戊二年、天下新法が発布された。

太戊四年、天子大婚。鄭国公主趙慧を娶られた。

太戊六年、天子汁瀧は、曾宇、汁綾、上将軍龍于(!)に十万の大軍を率いさせ、郢国討伐に向かわせた。

 

 

姜恒は町で噂を聞いた。また戦争があるらしい。この百年で最後の一戦になるかもしれないと。

だが少なくとも安陽の人々の生活は以前より良くなっていた。梁王畢紹はかつての王宮に住み、六年たった今、すでに町は復興し、市は栄え、どの家からも炊事の煙が上がっていた。

姜恒と耿曙は誰にも行方を知られないように暫し安陽城の裏山すそに住居を構えた。

姜恒は毎日、市場に買い物をしに出掛け、子供たちに読書や識字を教えたり、詩の朗読をしたりして、食料を買う金に換えていた。耿曙は時々人に替わって大工仕事をしていたが、毎日が同じことの繰り返しで退屈し、別の生計方法を考えているところだ。

この日姜恒は肉と魚を買って家に戻った。耿曙が帰るのを待ちながら夕飯を作り、郢国のことについて考えていた。その時家の後ろから何か物音がした。

姜恒は物を放り出した。小さな忍び足が近づいて来る。姜恒は考えた末、隅にあったごく普通の鉄剣を握りしめて部屋の奥に向かった。そこには痩せて背の高い覆面の男がいた。

 

「何年も待っていたんだよ。もう待ちくたびれそうだった。」姜恒が言った。

「殺されるのを待ちくたびれる者はいない。刺客にこそ忍耐が必要なのだ。真の刺客というものは、皆時期を待って耐え忍ぶもの。お父上に習わなかったのか?」覆面男が言った。

「身をもって教えてくれたよ。」姜恒は深く呼吸し、応えた。

男はゆっくりと覆面を外し、顔の入れ墨をあらわにした。まさに何年も前に、姜恒と耿曙が江州教坊で壁の隙間から覗き見た、「血月」十三人中第二の男―――「刺客」だった。

「おたくの門主はお元気なの?」姜恒は好奇心がわいてきた。「急がなくていいでしょう。ちょっと聞いているだけなんだ。兄さんがこんなに早く帰らないことは知っているよね?少しくらい時間がかかっても生死に影響はないと思うよ。」

「お気遣いどうも。もう死んだよ。」

姜恒はどう死んだかは聞かなかった。それは重要ではない。

「私があなただったら、中原には残らなかったな。武芸を身に着けたところで、それが物を言う時代は終わったからね。」

刺客は答えた。「私もそう考えた。それで輪台に戻って学び直したのだ。楡林剣派という名だ。今はまだ無名だが、その内成長してくるはずだ。自分のことが一段落したら、君を殺しに戻ってこなければといつも思っていた。委託した者は死んだが、仕事は仕事だ。雇い主が報酬を払ったのなら、我らはやり遂げるべきだ、そうだろう?」

姜恒は笑った。「その話は違うんじゃないかな。汁琮はあなたに報酬を支払ったの?私が見るところ、まだなんじゃないの?黒剣はまだ洛陽にあるのだから。」

「君を殺したら、自分で取りに行くから心配ご無用だ。準備はいいかな?」

 

姜恒はもう話を止めて、ゆっくりと剣を構えて刺客の挙動を観察した。血月が消滅して、もう六年がたった。耿曙はそれでも彼らがその考えを捨てたとは思っていず、いずれ来るだろうと考えていた。彼らは刺客の行方を捜していたが、見つからず、それは常に心に残ったままだった。真の刺客なら、いつまでもいつまでも待つことができる。関係者がそのことを忘れたころまでも。

耿淵のように殺人のために七年も待つものもいる。なぜかこの時、姜恒は母の言葉を思い出した。―――剣を持って人を殺す者は最後は剣で命を落とすものです。

これは世界中に仇がいる人間の宿命だ。永遠に逃げ切れることはない。

愛しい人を失う苦しみもまた、耿曙の運命なのかもしれない。

「私の死体は片付けてきれいにしておいてね。兄を悲しませたくないんだ。私は失踪したことにしておいて。」姜恒は小声で言った。刺客は眉をあげた。

「いずれは気づくさ。だが刺客の息子なら、人の生死には折り合いをつけるさ。苦しんだって何にもならないだろう?」

「確かにね。」姜恒は冷ややかに言うと、揺手剣をさっと刺客の喉元に突き出した。

だが意外にも刺客が持っていたのも揺手剣だった。しかもかつて姜恒が佩いていた剣:

繞指柔剣だった!

なぜこの剣が彼の手に渡ったのだろう?不意を打たれて判断が遅れた。しかも刺客の武功は自分よりずっと優れている。かつては血月で二番手だったのだ。剣は姜恒の喉を掠めた!

姜恒は体をひねって逃げられたが、あと半寸で喉を切り裂かれるところだった。彼は急いで家の裏の森の中に走りこんで行った。刺客は軽攻し、すぐに追いつき、今度は姜恒の背中に剣を向けた。姜恒は転がり込んで身をかわした。

血のように赤い楓林の中、鋭い剣先が震えながら迫ってきた。

その時、バン!と音がした。

 

 

耿曙は肌脱ぎ姿で武袍を腰に巻き、手に持った棒切れをくるくる回しながら、家の門まで帰ってきて、庭が一面血だらけになっていることに気づいた。血の跡を追って歩いて行くと、黒熊が地面に座って、ちぎれた人の足を食べていた。もう一頭は姜恒が与えた饅頭を食べている。

姜恒は近くに座って、繞指柔剣を握り、耿曙を見上げてため息をついた。

耿曙は暫く言葉がなかったが、最後に尋ねた。「奴が来たのか?」

姜恒は頷いた。耿曙が再び言った。「何で片足だけなんだ?全部食われたのか?」

「ううん。私は彼を引き付けて罠にかけようとしたんだけど、彼が罠に足を挟んで大声を出したら、この子たちが来ちゃったんだよ。それでも諦めないで私を殺そうとしたら、この子たちにやられたってわけ。勝算がないと分かった彼は逃げるために自分で足を切り落として、崖から川に飛び込んで、流されていったんだ。」

耿曙:「……。」

「最初に、私がこの子たちを養いたいって言ったら、あなたは反対したよね。」

「俺が間違っていた。」耿曙は自らの過ちを認めた。

 

七年前、塞外で助けた二頭の熊を、孟和は安陽の後山の上に逃がした。熊たちは日ごろ自分で魚を取って、楽しく暮らしていた。それからしばらくして姜恒は偶然安陽後山の中で、この古い友達にばったり会った。驚いて緊張し青ざめたが、熊は熊らしく、満腹なら通常人は傷つけない。数日ごとに腹が満たされれば、狂ったように襲ってくることはなかった。耿曙など以前は素手で拳を握り、熊と取っ組み合って武芸を練習したくらいだ。

熊たちは姜恒と耿曙のことを覚えていて、時々二人のところに餌をもらいにやって来た。

最初、耿曙は面倒を嫌って殺そうとしたが、寸でのところで姜恒に引き留められた。だが熊たちはあまりに大食いだ。いらついた耿曙は、もうたくさん食べさせたのだからと、彼らを楓林に押しやった。楓林付近に罠をたくさん仕掛けておいたのはそれが理由だ。一つには刺客を防ぐため、二つには熊たちが山を下りて人々を驚かせるのを防ぐため、三つには自分がいない時に姜恒を攻撃しに来ないためにだ。

幸い熊たちはとても聞き分けが良かった。子熊の頃風戎人に育てられたせいで野性味が強くないのかもしれない。これまで人を喰らおうとしたことはなく、放されたあたりでおとなしくしていた。

 

「それはそうと、斬られていれば笑い事じゃなかった。やはり畢紹に言って後を追わせよう。」耿曙が言った。

姜恒は熊たちに言った。「どうもありがとう。命を助けてくれた恩に心から感謝するよ。」

耿曙は再び出て行って肉を五十斤勝ってくると、盆にのせ、命の恩人?にお礼をした。

夜になると、夕飯を作って、酒を二両つぎ、姜恒と話しながら、食べて飲んだ。人生は楽しい。これこそ彼が望んだとおりの生活だった。何の変哲もない日々を過ごす。

 

夜が更けると、耿曙は寝台に横たわって腕枕をし、姜恒に顔を近づけて小声で尋ねた。

「心配事か?」姜恒はずっと眉頭を寄せたままだった。

「江州のことを考えていたんだよ。彼らは江州を攻めるそうだ。」

「また汁瀧に替わって心配しているのか。太子炆殿下。」

姜恒はくすりと笑った。「私は江州の人たちに替わって心配しているんだよ。」

「見に行きたいか?」耿曙が尋ねた。

「え?」姜恒は我に返り、耿曙の顔をなでた。いつも通り熱く、馴染みの匂いがする。洛陽を離れてから、二人は町に隠れ住んでいたが、どこであろうと、二人でいれば、そこは桃源郷だ。

「いいの?」姜恒がきいた。

「どれだけ尽くしてくれるかによるな。」耿曙は下を向いて、姜恒の鎖骨、唇、双眸に視線を這わせた。「言うことを聞いてくれたら連れて行ってやる。」

姜恒は笑った。呼吸が早まり、耿曙をじっと見てから、口づけを受け、舌を絡ませた。

 

 

翌日、耿曙は門にしっかりと鎖をかけ、二頭の熊の餌を用意してから、王宮の畢紹に手紙を送った。安陽に住み着いて六年、初めて畢紹に二人の隠れ家を教えたことになる。

だがあの刺客が再びくることはないだろう。耿曙は繞指柔剣を持ち、姜恒を載せた。かつて塞外で扮したのと同じ恋人同士に扮して、官道に車を走らせ、黄河を渡り、郢都江州に向かった。

 

 

太戊六年秋,雍天子、郢を討伐。

途上には緊張気味に逃げてきた人々が大勢いた。戦乱が頻発し、万民が路頭に迷っていた、十年前の大争の世が戻ってきたかのようだ。

江州は相変わらず華やかだったが、少し退廃的な気配が潜んでいた。戦争が起こりそうだというのに、朱雀宮は相変わらず、夜な夜な華やかに音楽が響いている。最後の心配事である大患を除けば、六年間も安陽に隠れ住んだ後で戻ってきた郢地の活気が、姜恒にはとても好ましく感じた。

耿曙は桃源劇班、頭領の魁明を訪ねて行った。懐かしい人との再会に姜恒は大喜びだった。

「洛陽は天下に、あなたを太子炆として冊封したと告知したのですよ。ご存じでしたか?」魁明が言った。「これまでどこでどうされていたのですか?お二方とも、ご結婚は?」

「ずっと家にいた。結婚はしていない。恒児と助け合って過ごしてきた。」耿曙の口の上にはほんの少し髭が出ていた。男らしく見せようと髭を伸ばそうとすると、姜恒が嫌がってそってしまう。また伸ばそうとするとまたそられてしまうのだ。

今の耿曙は大人の男性らしい風貌で、すでに家庭も稼業もある者のように見える。長年身を隠した後で、家を出る際にまた姜恒にきれいに髭をそられてしまい、旅の間に少し伸びてきただけだ。事情を知って魁明は笑った。姜恒が尋ねた。「鄭真は?」

「死にました。」魁明が言った。「六年前のことです。項将軍が亡くなったと知り、川に身投げしました。」姜恒は何も言えなかった。一同はしばらく黙り込み、姜恒はため息をついた。

 

 

ーーー

第200章 終 山には木があり:

 

耿曙が再び尋ねた。「界圭がどうしているか知っているか?」

「西川に行きました。江湖の者たちと一緒のようです。滄山に行った後、西川に刺客門派を作ったそうです。白虎堂という。」

(白虎堂は相見歓の主役の一人が最後の徒弟。もう一人は耿曙の山河剣法を習う。)

 

初めて彼の消息を知った姜恒は少しほっとした。

「だけどもうこの世界にはそんなに殺す人はいないんじゃないの?」姜恒が言った。

「千年たっても需要はあるだろうよ。」耿曙が言った。

魁明は再び言った。「お二方が住む場所を見つけましょうか?」

 

耿曙は茶杯を置いて言った。「俺はここで学堂を始めたいと思っているんだ。武館を併設して。雍人が攻めてきたらまた考えるが。面倒をおかけする。」

こうして姜恒と耿曙は江州城内に住むことになった。王族に会わないように気を付けなければならないが、かつて二人を知っていた人たちはもう多くはない。半月後、耿曙の武館は早くも開業し、「聶先生」の名の下には少なからぬ学生が集まった。姜恒は武館を少し変えて、学館にした。一つの学館で文武両道学ぶことができる。人々は、目の前にいる若き師父がかつて黒剣を手に天下一の名を得た、更には耿淵の後継ぎであると知っていた。そして学問の先生は僅か一日だけ天子の役を担った雍国の太子炆だ。

 

刹那主義の江州郢国の王族は、最後の時が迫ろうともお構いなしだ。姜恒には耿曙の考えがよくわかっていた。彼は天下が統一する歴史的瞬間をその目で見届けたいと思っているのだ。姜恒のこれまでの信念が形を成す日がまもなく訪れようとしているからだ。

もしも雍軍がなかなか勝敗を決められずに、怒りのあまり屠城することになったとしても、二人がここにいれば、わかった時点で、全城の人々の命を守ることができる。願わくはそんなことにはならないでほしいが。

だが、戦いの苛烈さは姜恒の想像以上だった。郢国は投降せず、三日にわたる囲城戦で、城内の兵は混乱を極め、耿曙の武館の学生までも戦に駆り出された。

「先生!」学生の一人が慌てふためいてやってきた。「雍軍が城を破りました。逃げないのですか?」

姜恒は武館に端座し、書を読んでいたが、「先生のことは気にせず、自分の身を守りなさい。」と言った。「師父はどこですか?」学生は思い出して尋ねた。

「城門の守備を手伝いに行ったよ。怖いのかい?怖かったらここにいたら、大丈夫だよ。」学生はどうしようかと迷い、またため息をついた。

「戦いたくないんだろう?違う?」

「わかりません。」学生はとまどっていた。

投降したいと言えば、身勝手な売国奴のようだ。:戦いたいと言えば、王族に使い捨てにされる。戦いたくないのは自分の利益を守りたいだめだけではない。天下の戦は全て諸候同士の争いだ。一般人には何の関係もないではないか?

外から殺しあう声が聞えて来る。学生は外をちらりと見て、「先生、……私は両親と弟を守りに行きます。どうぞお気をつけて。」と言った。

「行きなさい。」姜恒は言いながら、武館の外の深い闇夜に目をやった。

 

耿曙を失った雍軍には、曾宇、汁綾二人の上将軍しかいなかった。今回の軍事行動については、新たな朝廷の役員たちから一致した支持を得ていた。理由は簡単だ。:我らは天子に仕える身。郢国ごときが従えぬとは笑止。勿論、表立っては「戦わねば天下を平定したとは言えないのだから、戦わないわけにはいかないのだ」と体裁のいいことをいっているのだが。

耿曙を欠く雍軍は、かつての力を失っている。江州を落とすのは時間の問題とは言え、その過程はそれなりに骨が折れる。曾宇は北側の巨大な城門を眺め、城に火矢を射ち込んだら、どれくらいで城が落ちるだろうかと見積もっていた。

だがその時叫び声が聞こえてきた。「城が破れたぞーーーーー。」

ガーンと大きな音がした。城門の巻き上げ機が内側から断たれ、架橋が落ちてきた。

「入城――――!」曾宇はこの機会をとらえ、すぐさま、雍軍がなだれ込んで行った。

曾宇は巻き上げ機の前の黒い影を目でとらえた。黒影は両手を開いて城壁の上に飛び乗り、壁の上を走ると、民家の屋根の上に飛び降りた。そして体をひねって矢を一本射た。

矢は百歩離れたところから飛んできた。曾宇は色を失ったが、矢先は彼の喉を狙ったのではなく、彼の前の地面に刺さった。そこには見慣れた字でこう書いてあった。:

『屠城したら我が刀剣が黙っていない。

聶某を怒らせたら、地の果てまで逃げたところでその剣から身をかわすことはない。』

曾宇は顔を上げたが、もう姿は見えなかった。こんなことができるのは此の世に耿曙ただ一人だろう。

 

 

深夜になった。武館は子供たちでいっぱいだった。座る者も横たわる者も、眠くて仕方ない。姜恒は琴を弾いていた。琴は大きな音を鳴らし、武館の外から聞こえる殺戮の声を覆った。

耿曙が帰ってきた。寝ている子供たちを注意深く乗り越えて、水を飲みに行く。体からは楓の木のにおいがした。姜恒は尋ねるように眉を揚げた。耿曙は頷いた。「城は破った。」当たり前のように言うその口調は、夕飯の話でもしているかのようだ。

姜恒は二度琴弦をつま弾いてから尋ねた。「門は閉めてきた?」

「必要ない。俺がここに座っているのに、誰が来れる?何の曲を弾いているんだ?」

「適当に。」姜恒は笑った。「みんなが寝られるように弾いてみただけだよ。」

江州城内の家々は戸を固く締め、兵に蹂躙されるのを恐れている。そして親たちは皆、同じ考えのようで、子供が危険にさらされないよう、彼らを武館に送り込んだ。外では桃源の人たちが、守っている。もし武館で子供たちを守れないなら、家は尚のこと危険だろう。

 

「時々思うんだ。なんで父さんが琴を弾くのが好きなのか、わかった気がするって。」

「なんでなんだ?」耿曙の心は温かな愛情で満たされていた。彼は十歳の時から姜恒に恋をしてきた。もう十七年になる。姜恒の明るく輝く双眸を見る度に、潯東の姜宅の外で、彼と初めて会ったあの日と同じ気持ちになる。

「琴の音には人の心を慰め、血の汚れを消し去る力がある。彼には言いたくても言えない思いがたくさんあったのかもしれないね。」

「人を殺せば心に安らぎはない。一曲弾いたからって謝罪にもなるまい。割に合わないな。」

姜恒は笑い出した。「そういうことじゃないんだよ。」

「俺たちがしたことは間違いだったと思うか?」耿曙は尋ねた。彼は城門を開け、この大戦を早く終わらせることで、城内の人々の命を救おうとしたのだ。

「あなたがそんなこと気にしたことがあったっけ?」

「確かにな。俺に教えを諭したければ、さあどうぞ、だ。」

夜のうちに、雍軍は城に入ってきて、一夜にして全城を占領した。

天子汁瀧と朝廷の命により、曾宇は城内の民を絶対に傷つけないようにと厳しく兵たちに命じた。王宮の前を守っていたはずの御林軍は既に逃げていた。項余の死後、御林軍統領となった者は戦争の仕方もしらず、国と共に死すのみだった。王宮に攻め入られ、羋清は汨羅江に身を投げた。最後の戦いは宗廟で起きた。熊丕は手に火を持って、宗廟前まで来ると、郢国の木である「椿」に火をつけた。その木は鄭郢越随四国のかつての公候によって植えられ、六百年生き続けた。だがついにこの夜、北斗七星の煌めく中、燃え尽きてしまった。

郢国の象徴が、熊丕に火をつけられ、城内の人々は皆山の上を見て、宗廟前の木が燃えるのを見た。姜恒と耿曙も武館を出て北の方向を望み、椿の木が焼かれて頽れるのを見た。熊丕は最後に木の下に身を置き、歴史と共に灰となった。

 

「『南方に巨木有り。八千歳を以て春と為す,八千歳を以て秋と為す』」耿曙が姜恒に言った。

「北冥に魚有り。其の名を鯤と言う。」

姜恒は口角に笑みを浮かべた。子供の頃の日々を思い出した。「なんでそんなによく覚えているの?」

耿曙は考えて、まじめくさった顔で言った。「平陸は易きに処し、右背に高きを、前に死(低地)を、後に生(高地)を。此処すべし平陸之軍也」

姜恒は笑い出した。「勝者は先ず勝ち、後に戦を求め……。」

耿曙は真剣に言った。「敗者は先ず戦い、後に勝ちを求む。」

 

雍国の騎兵隊が武館の前を通り過ぎていく。空が明るくなり、木の葉には朝露が光る。

耿曙と姜恒の姿を見つけた人がいたようで、驚いた顔をして二人を見ていた。

耿曙は手を後ろに置いて武館の前に立っている。なんだか神州大地を守護する武神のようだ。「何を見ている?」

姜恒は館内に戻って、子供たちを起こした。「もうすぐ家の人が迎えに来るよ。大丈夫。全部終わった。これからは全てうまくいくからね。」

鐘がなり、遠く洛陽王都で江州陥落を告げていた。

雍太戊六年秋,七月十五日、郢王熊丕は薨去,公主羋清は入水し自害。

これにより、神州大地は統一された。

百川相い合わさり、泰山の壁は千仞に切り立ち、東海のさざ波は万頃続く。

晋天の下、王土の尽きるまで、その領土の全ての者は王臣なり。

百二十七年続いた大争の世、諸侯の乱、金鉾鉄馬が奏でる琴曲はようやく鳴り止んだ。

 

 

太戊七年,春。

「天の時は地の利に及ばず。地の利は人の和に及ばず。」

桃の花弁に朝露が煌めく早朝、江州の学堂にて。

子供たちが声を合わせて朗らかに音読をしていた。その後ろでは姜恒が背に手を置き、板尺を持って、学生たちの列の後ろを歩いていた。耿曙は武芸の練習を終えた学生を急かしている。先生の席に座る姿は、天下に君臨し、王国の小さな臣下たちに謁見しているかのようだ。

「天子仁にあらざれば、四海を保てず;諸侯仁にあらざれば、社稷を保てず——」

「卿大夫仁にあらざれば、宗廟を保てず;士庶人仁にあらざれば、四体を保てず——」

子供たちの音読する声は、耿曙にとって最好の楽曲だ。

「富貴も堕落せず——。この続きは?」姜恒が朗らかに尋ねる。

子供たちは姜恒の後に続ける。「貧賎も移り気にならず、威武も屈せず……。」

「魚も欲しい。その後は?」姜恒は笑顔で言った。

「熊の掌、それも欲しいーーー。」子供たちは続けた。

「生も欲しい、義も欲しい——。両者を兼ねて得ることはできず、生を捨て義を取る者——。」

 

遠く大宮から鐘の音が響いて来た。授業は終わりだ。学童たちはそれぞれ立ち上がって、耿曙と姜恒に拝礼した。耿曙は姜恒をじっと見ていた。学館の外で春風が吹いた。姜恒は振り向いた。眼差しに笑みがあふれている。その周りには帰ろうとしている子供たちがいっぱいだ。

「何という夕べ、舟を曳いて流れの中に。」姜恒は暫く耿曙を見つめて、突然言った。

帰ろうとしていた学生たちは習ったことのない句を聞いてぽかんとしていたが、近くで耳にした越人の子供がすぐに手を挙げて言った。「先生、ぼく知っています!その後の句は、『何という日、王子と舟に乗るなんて』です!」

それを聞いた姜恒は笑顔で振り向き耿曙を見つめた。耿曙の胸は高鳴った。彼は文机を降りて姜恒に向かって行き、春風の中、その手を牽いた。

 

 

——巻七・陽関三畳・終——

 

 

二人はこのままずっと雍の人たちに会わないつもりなのかな。汁瀧が位を子供に譲ってから時々は会えていたらいいよなあ。こっそり冬の落雁で雪合戦したり、孟和たちと相撲とったり。お忍びで嵩県に行って宋鄒と将棋さして温泉入ったりしていたらいいのに。

ハッピーエンドだけどそこだけがちょっと寂しい。