非天夜翔 山有木兮 翻訳の練習 181-185

非天夜翔が好きすぎて自分が読むために200話翻訳しました。万が一同じような趣味のかたが読んでおもしろいと思って下さったら是非原作を正規のルートで手に入れて読んでみてください。営利目的ではありません。要求があれば、すぐに削除します。

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第181章 招かれざる賓客:

 

安陽城市にある、山際の高所は秋のすがすがしい空気に包まれていた。ところどころに、壊れかけた石彫りがあり、その背後には梁国の宗廟がある。宗廟前には一本の大樹があった。界圭はその木の下に腰を下ろし、姜恒のために銀杏を向いて手渡していた。

木の上に人影がある。耿曙だ。耿曙は木の上から辺りを見渡し、最後の一人となった刺客が来ないか見張っていたが、四方を確認して無事だとわかると枝に腰を下ろした。

界圭は木の下に腰を下ろしたまま話し始めた。「さっき太子坊やのところに行ったときに、何をきいたと思います?」

「今日は国のことについて話さなくてもいいかな?」姜恒が言った。

「いいですよ。」

でもそこまで言われたら、尋ねないわけにもいかない。「何を聞いたの?」

「姫霜がもう代国を出発して、安陽に向かっているそうです。誰に嫁ぐにしろ、まずは状況を見たいということなのでしょうね。」

「それなら誰かさんは迎えに行かないとね。何でまだこんなところでのんびりしているのかな?」姜恒が言った。

「何かお手伝いできますか?」界圭は姜恒に尋ねた。「何も。これで充分。」姜恒は答えた。

 

界圭は考えた末に言った。「私が名乗りを上げたら、姫霜は私に嫁いでくれるでしょうかね?」姜恒は苦笑いせずにいられなかった。「言ってみれば?」

界圭は木の根に座り、少しずつ姜恒に近づいた。傷だらけの顔を近づけ、笑顔を見せて言った。「恒児。」耿曙の動きが停まったが、何も言わなかった。

「誰もいないときはそう呼んでいいと許可してくれましたよね。木の上の人は数に入りませんよ。」「まあね、」姜恒は応じた。

「私は年寄りだと思いますか?」界圭が言う。姜恒は窺うように見た。「いいえ。」

「私は醜いと思いますか?恒児、本当のことを言って。」

姜恒は真剣に界圭を見て言った。「いいえ。あなたを好きな人はとても多いはずだよ。」

耿曙は黙ったまま、木の上で二人の会話を聞いていた。界圭は得意げに笑い出した。醜い顔を赤く染めて、思い人から誉められたかのようだった。

「あの夜、あなたに言ったことを覚えていますか?」

「何だっけ?」姜恒はすっかり忘れている。だいたい界圭はくだらない話をいっぱいしてきたし。界圭は振り向いて姜恒に向かい真剣に言った。「私と逃げましょう、恒児。あなたを一生大事にすると誓います。」

姜恒:「……………………。」

界圭は笑顔を引っ込めて言った。「私の醜さが嫌じゃないなら、この世のどこかで、これからあなたと私、二人だけで助け合って生きていきましょう。」

耿曙は遠く青天を眺めていたが、目が血走っていた。

「ふざけないで。こんな風に私をからかう必要がある?」姜恒は気恥ずかしくなった。

界圭は真剣だ。「恒児、私はずっとあなたを好きでした。からかうつもりはありませんよ。初めて会った時のことを覚えていますか?」

「あなたは私が誰か知りもしなかったじゃないか!」姜恒が言った。

「私が言っているのは洛陽でのことですよ。」

「私が言っているのも洛陽でのことだよ。」

界圭は笑った。「私の腕で、本当にあなたを殺そうと思ったら、逃げられたと思いますか?本当に金璽が欲しかったのなら、あんな話をしたと思いますか?初めてあなたに会った時から、これからの人生はあなたと運命づけられているのだとわかったんです。」

「勘弁してよ。」

界圭は姜恒の肩に手をかけようとしたが、姜恒はそれを避けながら、「あなたが好きだったのは私の父だ。彼はもういない。わたしはその代わりにはなれないよ。」と言ったが、それでは少しきつすぎるかと言い直した。「界圭、あなたのことは好きだけど、そういう意味じゃない。頼むからもう、……もう……。」もうどこかに行って、と本当は言いたかったが、過去の思いに浸って一人の人を一生涯思い続ける界圭を尊重したかったため、それ以上は言えなかった。

 

「お父上とはね、お母上と一緒になる前は、二人で色々おかしなこともしたものです。」

「やったのはあなたの方なんだろうね。」

「初めて口づけしたのは、私が十八の時でした。彼は十六でしたが、もう待てなかった。恒児、言わせてください。もしあなたが私についてきてくれるなら、誰にも想像できないほど一生あなたを大事にします。毎日毎日いちゃいちゃと、甘―い日々を送れますよ。」

姜恒:「……。」

 

界圭を止めなくては。突如おかしくなってしまったようだ。嘘か本当かもわからないことをしゃべり続けて。皆彼は頭がおかしいというが、姜恒はそれには慣れすぎてしまっていた。

耿曙はただ静かに聞いていた。

「それでもあなたにはついて行かない。理由はあなたが本当に好きなのは私じゃないから。」

界圭は笑い出した。「同じことだ。違いますか?」

「同じではないって。」姜恒はふと尋ねてみた。「父はどんな人だったの?彼はその頃、あなたをとても大事に思っていたと思う。だけど私にはわかる。父にはきっと理想があったんだ。」

界圭は思いにふけりながら言った。「とても美しい人でした。誕生日に、私が一人でいると、彼が来て一緒に酒を飲んでくれました。あれは桃の花が美しく咲く春の日でした。「一緒に祝おう。」と言って琴を弾いてくれました。琴の腕は今一で、あなたのようにうまくはありませんでした。耿淵も教えようとはしなかった。」

 

姜恒は高所に目をやり、耿曙も邪魔をせず、上の空で遠くを眺めていた。

「彼が弾いている間、私は笑顔で見つめていた。あの頃は、私も美男だったんです。顔はきれいだったけど、胸にはもう傷がありました。風戎人が彼を暗殺しようとした時、かばった私が剣を受けたのです。」そう言って、界圭は襟を広げて姜恒に見せた。裸の胸には、肋骨の下あたりに古傷があった。心臓から半寸のところだった。

「それから?」

界圭は襟をもどすと、話を続けた。「そのあと二人とも酔って、私は彼を胸に抱いて、彼の手を取り、一緒に琴を奏でました。そのあと、私が口づけ、彼も返したのです。

誰かと口づけを交わしたことがありますか?」

姜恒は答えず、顔も向けなかったが、その時、唇にあの熱い感触がよみがえってきた。もちろんその温かな感覚を知っていた。それも一度ではなく。

 

界圭は言った。「彼は私に気持ちがあったとわかっています、恒児。心にはいつも私がいた。あなたと同じようにね。」

「同じではないってば。」姜恒は重ねて言った。

「私の中では一緒です。それから少なからずバカなことをした。バカだけど、いい加減ではなかった。酒の勢いを借りてね。私にはわかりました。彼の心の中にある望みが何なのか。」

姜恒:「……。」もうこれ以上は無理だ。界圭の作り話だとしても、ここでやめさせねば。

「でもね、翌朝には、彼は全て忘れていました。私も忘れました。それ以降、私たちは二度とその話はしなかった。そして半年後、姜晴がきて、彼は結婚しました。婚礼の日、私たちは酒をたくさん飲んで、それから私は彼を寝殿に行かせました。見たところ、彼は本当にお母上が好きになったようでした。私は戸外で二人のために一晩守りに着きました。

 

姜恒は手を伸ばして界圭の頭を撫でてやった。界圭は顔を向けて姜恒を見るとそっと言った。「恒児、彼に対してと同じようにあなたを大事にします。もう誰にもあなたを奪わせない。一緒に行きましょう。恒児。」姜恒は答えず、立ち上がろうとした時、界圭が彼の手を握った。「界圭!」姜恒はすぐさま言った。耿曙が木の上から冷ややかに言った。「手を放せ、界圭。さもないと殺す。本気だ。」

界圭は動作を停めて、姜恒をじっと見た。そして謎めいた笑いを浮かべると姜恒に片眼を閉じて見せた。「うそです、うそです。お父上とのことは全部作り話ですよ。ついビョーキが出てしまった。ここ数年私はよくも悪くも……。」界圭は上の空で独り言のように言った。

「自分で自分をだましていただけです。私たちの間には何もありませんでした。」

姜恒はどうかなと思った。耿曙は再び警告した。「お前の気持ちを邪魔するつもりはない。だがもし無理強いするなら、俺はお前を殺す。」

姜恒は何か言おうとしたが、耿曙は木から飛び降りると、ひらりと身を翻し山の中に消えて行った。その時、安陽別宮の高台から鐘の音が三回響き、賓客の来訪を告げた。

 

 

姫霜が安陽に着くと、すぐに全城大騒ぎとなった。彼女は天子のまた従姉で、つまり天下王権の正統な持ち主だ。例え公主に過ぎぬとはいえ、粗相があってはならない。

だが姜恒は姫霜の意図を見抜いていた。代雍の縁談に効力があるうちに未来の夫を耿曙にする。その後で代国だけは協議から外す。元々代国には中原の国境を雍国と争うだけの力があった。今や雍国は絶対的な勢力で中原を占領しているが、汁琮の死により、代国にもついに機会がやってきたということだ。

 

姫霜は代国の錦繍を施した華服を身にまとい、二千余りの人を携え、代国第三王子、李儺直々の護衛のもと、招かれざる客としてやってきた。まるでここが運命の国土であるかのように。馬車ががらがらと列をなし、侍女たちは楚々と随行する。華蓋相接する金の御車は実に豪華だった。一方の雍国は上は太子から下は公卿まで黒服一色で、更に汁琮の喪に服しているため(ドラマでよく見る麻の粗末な服だよね)まさに北方から来た田舎者がよその土地に滞在中といった感じで目も当てられない。

その中で耿曙だけは堂々たる風格で、純黒玄服を身にまとい、変わらぬ抜きんでた英俊さで雍国の面目をわずかながら保っている。

姜恒はふと気づいた。太子瀧の顔色が少しすぐれない。「兄上?」姜恒が声をかけた。

「夕べあまり眠れなくて。」太子瀧は姜恒を見たが、先ほどの衛賁の言葉を思い出し、眼差しが少し複雑だった。汁瀧は考えようとした。姜恒は、汁琮が一番力を持っていた時でも、死をも恐れず、正面切って罵った唯一の人だ。恐れず立ち向かう勇気を自分に与えてくれた。いつも静かに笑みを浮かべた風貌ながら、天下の何をも恐れない。

 

「別れて幾日たったでしょう。」姫霜は馬車を降りると柔らかな声で言った。「何という夕べ、王子に再会するなんて。ごきげんはいかがですか?」

「おかげさまで、ずっと息災だ。」耿曙は言った。

姫霜と紅い覆面の女は別人になったかのように二年前のことをすべて忘れてしまったようだ。彼女が姜恒と耿曙を殺そうと兵に追わせたことなど、本人たちがいなければ、なかったことにしていただろう。勿論耿曙もそのことは言わなかったが。

「霜公主。」太子瀧は階段の上から姫霜に頭を下げた。

「瀧太子。」姫霜は遠慮がちに微笑み、「姜恒は?」と尋ねた。姜恒は部隊の一番後ろから、微笑みながら声をかけた。「公主のお越しが早かったので、まだ準備ができていませんでした。急いだために、失礼が多かろうと思います。」

「大丈夫ですよ。両国は早くから兄弟の盟を結んだ間柄ですから。来てしまったからには、これからのことは、皆さまでゆっくり話し合ってからでも遅くはありません。」

言い換えればこうだ。:私は嫁ぐために来ました。あなたたちの誰かは問いませんが、誰かには嫁いでもらいます。先にここに住み着いて、決定を待つことにしますから。

 

「王兄上?」太子瀧は耿曙を見た。耿曙は姜恒を見た。全く揺るぎない。だが姜恒は視線をそらした。耿曙が言った。「私がお連れするので、まずは公主にはお休みいただこう。」

耿曙は「どうぞ」という仕草をし、姫霜は礼儀正しく耿曙について行った。

姜恒は李儺を推し量るように見た。代王には最も寵愛した三男一女がいた。一女とはこの姫霜のことだ。長男の李謐は、汀丘離宮にて代王自らの手で絞殺され、次男の李霄が国君を継いだ。三男の李儺は実直な性格の武人で、兵士向きな気質だ。しばらくすると李儺は姜恒に気づき、遠くから彼を見返した。

 

その時姜恒の後ろから手が伸びてきて肩をぽんと叩いた。姜恒が振り向くと、それは郎煌だった。嬉しそうな表情だ。「来たんだね!」姜恒は言った。

郎煌は言った。「俺たちはさっき着いたばかりだ。姫霜が城に来るのを見たんで声をかけなかったんだ。汁琮が死んだことで、君は俺たちに来てほしいかと思って、会いに来たんだ。」

ああそうか。耿曙は前に言っていた。この世に本当の正体を知る者は四人だけだと。―――姜太后、耿曙と郎煌、そして界圭だった。郎煌は汁琮が死んだことで姜恒が身分を明かし、太子の位を奪い返すのではないかと思い、証明するために来てくれたのだろう。

だが今姜恒にはその気はない。郎煌に「しっ」という仕草をして、言いふらさないようにと伝えた。郎煌は同情と理解を示すために頷いた。

「みんなも来たんだよ。今は宮内にいる。夜になったら兄貴と酒でも飲みに来ないか?」

姜恒が答えようとした時、周游がきて、二人に頷いてあいさつした。

「淼殿下がお呼びです。」周游は近づくと姜恒の耳元でささやいた。「霜公主に付き添ってくれと。お三方は以前からのお知合いですよね。」

「あれを知り合いっていうのかな?もう少しであのひとに殺されるところだったのだけど。」そう言うと姜恒は郎煌に別れを告げ、人の群れをかき分けて宮内に歩いて行った。

 

 

ーーー

第182章 雨の夜:

 

「私は烈光剣をあなたに渡そうと嵩県に送ったのですよ。」姫霜は耿曙の付き添いのもと、ゆっくりと王宮の坂道を上がって行った。

「受け取った。烈光剣は今、王宮にある。」

「烈光、天月、それに黒剣、三本の剣が一堂に会したのですね。生きているうちにそんな場面がみられるとは思いませんでした。」姫霜が淡々と言った。

耿曙が答えた。「確かに。その他に、金璽も安陽にある。一に金璽、二に玉玦、三に剣、全て揃った。」

「貴国は洛陽に遷都するつもりだと伺いましたが。」姫霜がまた言った。

耿曙はいつもの関心なさそうな表情でつぶやいた。「恒児次第だ。遷都のことは彼が責を負っているから。」

「王子淼、今でも婚約は有効かしら?」姫霜が真剣な表情で尋ねた。

耿曙は姫霜に目を向け、彼女の様子を推し量った。何か思うところがあるように。

その時姜恒が急ぎ足に近づいてきて、姫霜と耿曙の後ろに追いついた。二人はその足音を聞いて話をやめ、一緒に振り返った。

「来たわね。」姫霜は笑顔を見せた。

「兄嫁殿、こんにちは。」姜恒も笑顔で応じた。

「まだ兄嫁ではありませんよ。」

「私には兄が二人います。どちらにしても兄嫁になられるでしょう。」

姫霜は姜恒が手に持った銀杏と楓の輪飾りを見て尋ねた。「それは私に?」

「いいえ。」姜恒は答えた。「亡くなった兄の家族の祭壇にあげるのです。」

姫霜の眼差しが一瞬複雑になった。「今の雍国はあなたの言いなりなのね。あなたが戦うと言えば戦い、休戦と言えば休戦する。なんだか意外な展開だわ。」

「少し遠いでしょう?」姜恒は袖を広げながらおどけて言った。「兄嫁殿、あまり私を持ち上げないでくださいね。位が上がるのが怖いんです。忙しくて、その内自分の姓が何だったかも忘れてしまいそうですよ。」

姫霜は眉を揚げた。姜恒は再び「どうぞ」という仕草をして、耿曙と二人で姫霜を王宮に送り届けた。

 

梁王后の寝殿だった場所が彼女の落ち着き先となった。姜恒は雍宮の者たちに、公主に対して粗相がないようにと言いつけて、殿外に出たが、耿曙はもうどこかに行ってしまっていた。姜恒はため息をついた。この縁談は汁琮が生前取り決めたものだが、今の天下の対局をみれば必然だったかもしれない。雍国は代国をそう簡単にはねじ伏せられない。姻戚になるのが唯一の方法だろう。姫霜の目論見もわかる。雍国が和睦を望むなら、この選択肢しかないと考えているのだろう。

雍は権力の一部を彼女に与えることになるだろう。王后でも、王子妃でも同じことだ。雍人が勝ち取った山河の半分をもらい受けるためにその座に就くだけだ。何の分際で?勿論、彼女の正統性、彼女の名の持つ力によってだ。

 

「恒児。」

姜恒が庭園から出てくると、耿曙はずっと待っていたようだった。姜恒が目を向けると、耿曙が言った。「俺が彼女と結婚したら、お前はつらい思いをするか?」

姜恒は耿曙の双眸を見つめた。見慣れた表情が読み取れたはずなのに、その時なぜか、耿曙が見知らぬ人になったような気がした。「あなたのために喜ぶと思うよ。」姜恒は軽い口調で言った。それは本心ではなく、本当に言いたかったことでもない。

 

―――あなたはついに私を置いて行ってしまうんだね。私が応じなかったから。だからあなたは私を置いて行くんだね。

だが、姜恒には誰よりよくわかっていた。自分は耿曙に何かを要求できる立場にない。子供のころからずっと、耿曙は自分に全てを与えてくれて来たのに、自分からは何も返していない。

 

「そうなのか。」耿曙は軽く頷くと、姜恒に向かって手を伸ばし、宮壁に手をついて、姜恒の行く手を遮ったが、それでも姜恒は彼を置いて去って行った。

界圭が再び姿を現した。「もしあなたが無理強いするなら、私があなたを殺しますよ。例え力ではあなたに及ばなくても、一人は殺そうとして、もう一人は絶望している時、結果はどうでしょうね。」

耿曙は手を引っ込めたが、姜恒はすでに去っていた。

 

 

夜になると、安陽に秋風が巻き起こり、再び雨が降り始めた。

太子瀧は辛抱強く、耿曙の決断を催促しなかった。曾嶸たちは、姫霜が太子を望まないのはかえっていいことだったとほのめかしていた。姜恒が言った冗談は半ば事実だ。公主は嫁に来たのではなく、婿入りする相手を王子の中から選ぶためにやってきたのだ。王后にしてしまってはシャレにならないが、王子妃なら、こちらにもまだ勝算がある。

それに太子瀧は男女の道についてまだ今一つぴんと来ていないが、耿曙が助けてくれると信じているし、彼自身が突如現れた兄嫁候補が嫌いではなさそうだ。

 

「あれは誰?」太子瀧は高閣に灯りがともっているのに気づいた。侍衛が答えた。「殿下にお答えします。姜太史です。界圭大人がご一緒です。」

太子瀧はまだ服喪中で、寂しい夜には独りぼっちで耐えがたい悲しみを感じていた。

「ここに来るように伝えて。少し話がしたいんだ。」侍衛は伝えに出た。

この夜、姜恒は明かりをつけて、周游が書いた五国の議に注を入れていた。

太子瀧は姜恒と話をしなければ、と思っていた。今日の耿曙と姜恒から何かを読み取ったわけではなかったが、二人の間に摩擦が生じたことは鋭敏に感じていた。

 

姜恒が書巻を抱いてやってきた。「急にどうされたのですか?」

相変わらず笑顔を絶やさない。彼に会う度、気分が晴れる。悩み事が消えて行くような気がした。「ずっと呼びに行きたいとは思っていたけど、お互い忙しすぎたから。戻ってきてからまだ一度もちゃんと話ができていなくて、知らない人から見たら、君に避けられていると思われるかもね。」姜恒は案巻を下に置いた。太子瀧が話を続けた。「送ってくれた議案書はしっかり全部読んだよ。」

「ええ。上の方にあなたの注がついていました。」

 

太子瀧は姜恒にお茶を淹れ、厨房に参湯を作るよう言いつけた。界圭は外から扉を閉めた。

「兄さんは?」

「兄嫁と一緒です。仮の兄嫁と。」姜恒は笑って見せた。

「もう決めたのかな?」

「選択の余地がありますか?私たちみんなで一緒に押し付けたのですから、嫌でも娶るしかないでしょう。」

 

 

夜の雨が灯にきらめく。耿曙は姫霜の寝殿に行った。一日ですっかり彼女の寝殿になっている。この寝室が、そのまま二人の婚房になるのだろう。

「こんな時間に来るべきではなかった。礼を失した。」耿曙が言った。

「おかけになって。」姫霜は耿曙の暗示を聞き取った。縁談を承諾するのだろう。

「私は天子の家系ですから、天下の「礼」は私次第です。それにこんなに殺しあって、血が河となって流れる時代に、天子の王道などあるのでしょうか。大争の世、礼などとっくに崩壊しているというのに、まだ礼節などにこだわるのですか?」

 

別に耿曙はそんなつもりで言ったわけではなかったが、確かにここ数年雍国は何度も大戦を引き起こしてきた。だが、ようやく元の軌道に乗り始めている。汁琮が狂ったように外れて行った軌道から、皆で力を尽くして戦車を引き戻したのだ。だが耿曙は何も言わずに、姫霜の双眸を見つめ、傍らに腰を下ろした。「言ってくれ。何が言いたい?」

姫霜はしばらく黙って考えた末、口を開いた。「姜恒の目論見は、お見通しよ。」

「俺でもわからないのに、あんたの方が俺よりわかっているとはな。」侍女が茶を持ってきたが、耿曙は飲まなかった。趙霊に嵌められたおかげで前より更に慎重になった。

「彼は五国間の境界を取り払って、民族同士を一つに融合させようとしている。戦争で天下を決める代わりにね。」姫霜が言った。

「そうかもな。」耿曙が答えた。「聞いてみればいい。俺には関係ない。俺には戦うことはできるが、戦うことしかできない。」

「代国の支持が欲しければ、私たちが結婚することが重要です。」

耿曙は答えず、屏風を眺めていた。姫霜の横顔が屏風に映っていた。

「でもあなたを呼び出したのは、この話のためではないわ。あることをお伝えするためよ。二年前にあなたが疑問に思っていたあることを。」

耿曙は手の中の玉玦を弄んだ。五本の指を、琴弦を押さえるように、少しずつ動かす。親指から中指、中指から薬指、小指、最後にきらりと光らせながら親指に戻した。

すらりと長い指に、大きな掌。剣の修練で鍛えた引き締まって力強い指先で玉玦を転がす動作は、見る人の目を楽しませる。

 

「二年前、疑問に思ったのではないかしら。一体誰があなた方の正体を私に知らせたのかって。」姫霜が言うと、耿曙は答えた。「最近になって答えがわかった。だがあんたが言ってくれるなら聞いてみたい。」

「趙霊だと思ったのではない?いいえ、違うわ。汁琮なのよ。」姫霜は口角に皮肉な笑みを浮かべた。耿曙の動作が停まった。そうだろうとは思っていたが、確信はなかった。

 

 

太子瀧の寝殿で、姜恒は書巻を折り上げた。

「二人は縁談のことでけんかをしたのかい?」太子瀧がふと尋ねた。

汁瀧は姜恒と二人きりでいる時なぜかいつもほっとできる。家族より家族らしい。耿曙と比べても姜恒の方が本当の兄弟のように感じる。二人は遠縁の親戚同士なのだが、心が通じあう気がするのだった。

「お見通しでしたか。」姜恒は笑い出した。

「父王のそばにいて、人の顔色を伺うのがくせになっているんだ。兄さんは時々父王と似た感じで、わかりやすいんだ。」

「少しだけ。でもそれだけが原因ではないのです。」

「じゃあ、兄さんはどんな娘なら娶りたがると思う?」太子瀧が言った。

姜恒には答えられるわけがない。特に太子瀧の前では。だがしばらくすると、太子瀧は答えを待たずに話を変えた。「我らが代国と開戦する可能性は、どのくらいあると思う?」

「もし代国が連合議案を承認しなければ、戦うしかないでしょう。そして多くの民が犠牲になります。」

太子瀧はため息をつき、苦笑いしながら言った。「時々、普通の民の家に生まれて、父があちこち攻めに行く王なんかでなければ、私の一生ももう少し楽しかったのではないかって思うことがあるよ。」

「私は普通の民の家に生まれたと思っていました。」姜恒は笑い出した。「それがどうでしょう?幸せは続かず、戦乱の中、失いうる物は全て失いました。今より更に悲惨でしたよ。」

「君は兄さんのために来たのだよね。」太子瀧が言った。「ちゃんとわかっているんだよ。君は最初から雍国があまり好きじゃなかった。父王のことも好きじゃなかった。父王も君が好きじゃなかった。」

太子瀧が見抜いていたとしても不思議はない。例え、姜恒が毎度毎度汁琮の怒りに火をつけるのに気づいていなかったとしても、汁琮の態度からおおよそのことは推察できただろう。

最後には汁琮は狂ったかのように、彼を逆臣と位置づけた。太子瀧も父と姜恒が水と油だったことに気づいたはずだ。

「でも私は君がとても好きだよ。君には私心がない。」

「ありますよ。人間誰しも私心はあります。私にも当然あります。私に唯一の私心は、私たちの兄です。そうでなければ兄のために雍国に来たりしないでしょう?」

「確かにね。」太子瀧はため息をついて頷いた。そして再び尋ねた。

「どうしてだい?恒児、どうしてなのか、私に教えてくれないか?」姜恒は黙り込んだ。

「あの時、兄と父の間でいったい何が起こったの?」

 

 

同じころ、姫霜寝殿にて:

「どうしてなの?」姫霜は疑惑を顔に表していた。「私はずっと汁琮があなたたち二人を殺そうとする理由を考えてきました。あの翌年、姜恒が落雁で変法を推し進めて、自尊心の強い暴君の逆鱗に触れたのは確かでしょう。……でもそれ以前には彼らは会ったばかりだった。汁琮の忍耐力をもってしても彼を殺すのはおかしいです。」

耿曙は言った。「きっと俺の忠誠心を汁瀧だけに向けさせたかったのだろう。俺は汁家の守護者である耿家の後継として合格だった。恒児のことは唯一の誤算だったんだ。彼が生きていたら、俺は汁瀧に絶対服従することはできない。これで理解できないか?」

姫霜は笑みをたたえて耿曙をじっと見つめた。「確か姜恒は雍国があまり好きじゃなかったと言っていたわね。」

「ああそうだ。元々弟は俺のためでなかったら、雍国に身を投じは……。」そこで耿曙は停まった。何かを思い出したようだ。

姫霜は静かに、先を急がせずに待った。殿内は水を打ったように静かになった。耿曙はずっとずっと長い間黙り込んでいた。あまりに長すぎて死んだのかと思うくらいに。

「子淼殿下?」姫霜は先を続けるよう促した。

それでも耿曙は身動きすらしない。この数年、もうすっかり忘れてしまっていた。姜恒がなぜ雍国に身を投じたのか。なぜこの大争の世を終わらせる抱負を抱いたのか。汁琮に数多の刺客を送り込まれても耿曙に怒りをぶつけることもなく、自分の身の上を知ってからも最後は笑って受け入れた。それでもなぜ。

「彼は俺のために来たのだ。全ては俺のためだった。」耿曙はつぶやいた。

姫霜はゆっくりと告げた。「ええ、前に会った時、彼もそういっていたわ。『兄のためです』とね。」

 

耿曙は夢の中にいるようにつぶやいていた。「目標を抱いたのは……俺が死んだと思ったからだ。それで神州を統一して、人々が自分たちのように、家を失い家族を亡くさないように。

今でもそのために努力をしているんだ。」

姫霜は頷いた。「それはもうわかったわ。王子淼。」

「俺がどうして承諾したか知りたいか?」耿曙は我に返って姫霜に尋ねた。

姫霜の表情は複雑だった。本当は耿曙に言いたかったのだ。『あなたを今夜呼んだ理由は、確認したかったからよ。―――あなたは私を愛していた?私を娶るのは愛しているから?それとも姜恒との約定のため?』(なら殺そうとするなよ)

どうやら答えを得たようだ。何というお笑い種。天下の大義、王道、興衰……その根底にあるもの、それらの下にあるものは、たった四文字の言葉:恋愛感情、だったとは。

 

「今夜、あなたと取引したかったのよ。汁家は本来功成り身を退くべきです。たかが封王に過ぎないのに天子になる資格などないでしょう。」

だが耿曙は突然姫霜の言葉を遮った。「俺も元々取引するつもりだった。あんたとな。だがもう無理だ。」耿曙は姫霜をしかと見た。姫霜はふと耿曙の眼差しに畏怖を抱いた。彼女が安陽にやってきたのは、耿曙の協力を得て、快刀乱麻に全てを解決させるためだった。

 

彼女なら新たな天子を生める。その子は五国の主人になるだろう。天下の主人だ。それには耿曙と姜恒の協力が必要だった。兄弟は一文一武。汁瀧を排除するのは時間の問題だ。

 

「もう無理ですって?」姫霜は驚いて尋ねた。「子淼!いったい何を言っているの?!」

耿曙は暗い夜の長廊を進んで行き、郎煌と山沢が雨を避けて亭内に座っているのを見つけた。郎煌は骨笛を手に持ち、小声で何か言っていた。耿曙が歩を停めると、彼に気づいた二人は話を止めた。「花婿殿か?酒を飲まないか?」山沢が言った。

耿曙は暫く黙ってから尋ねた。「水峻は?」

「部屋にいる。」郎煌は笑い出した。「俺たちが少し話していたら、部屋に戻ってしまったよ。」耿曙は元々別の日に話そうと思っていたが、考えを変え、亭内に座り込んだ。「一杯くれ。一杯だけだ。」

山沢と郎煌は耿曙の表情を伺った。生死を共にした彼らは、落雁の一戦以降戦友となっていた。普段はあまり会うことがなくても、ともに戦ったことで、ある程度心が通じ合っていた。

「どうした?」郎煌の笑顔には一切嫌味はない。「結婚間近だというのに、ほったらかしか?」

山沢は郎煌に言葉に気を付けるように合図した。耿曙は今、天下一の武人だという評判だ。万が一怒らせて二人を切り殺すことになったら、割に合わないではないか。

 

 

 

ーーー

第183章 狭い空間:

 

太子神殿にいた姜恒は、 ふとある感覚を持った。血のつながりによる心の通じあいか。二人は従兄弟だ。手足を流れる血、二人の体を構成する要素。二人の父親は同じ人を父とする。二人の祖父だ。私たちは兄弟なんだ……姜恒の生涯で初めての強烈な感覚だった。二人が家族だという事実、それは太子瀧の心情を直に感じ取れるほどに強く心に迫った。

 

太子瀧はこの時心の中で言っていた。―――本当のことを教えてほしい。真実で自分と向き合ってほしい。真相の根底に何があろうと、決して責めはしないから。

この時、姜恒はもう彼をだまさないことに決めた。「陛下が求める世界と私が求める世界が同じではなくなったのです。それで陛下は私が嫌いになったのです。」

太子瀧は言った。「でも最終的には父王がいなければ、私達はここまで来れなかった。」

「その通りです。ですから陛下を責めるつもりはありません。例え陛下が私を嫌いになっても私を……私を……。」

「もういい、言わないで。父が決めたことだ。私は私、父は父。私は君がとても好きだよ。それで充分。」

姜恒は頷くと、微笑みながら言った。「陛下の人生は功過併せ持つものでした。時には政見や主張の違う者を力でねじ伏せ、多くの血を流しました。それはあまりに残忍でした。」

太子瀧も声を低めて言った。「私もそういう血を見てきた。君がその内の一人にならなくて本当によかったよ。」牛珉が死んだとき、太子瀧は日夜苦しんだ。絶対に受け入れがたいことだった。父が東宮の人間を車裂きにするなんて!姜恒は牛珉のようになるところだったのだ。姜恒に対する父の不満は誰よりも強かった。姜恒が逃げきれて本当によかった。手段などどうでもいいことだ。

姜恒は太子瀧をじっと見て、しばらくしてから言った。「全て終わったことです。うらみはありません。」

「わかっているよ。そうでなければ帰ってきてはくれなかったものね。君は兄さんと、二人でどこまでだって逃げてよかったんだ。誰にも見つからない世界の果てまでだって。これは私が言いたかったことでもある。恒児、すまなかったね。私には何もできなかった。わかっているんだよ……。」最後に太子瀧はそっと付け加えた。「君たちが戻ってきてくれたのは……私のためなのだよね、そうでしょう?」期待に満ちた眼差しを向けられ、姜恒の心は痛んだ。「そうです。」姜恒は最後にそう言った。

 

太子瀧は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。姜恒が最初に雍国に来たのは耿曙のためだった。この二度目の帰国は純粋に使命感によるものだ。二人は耿曙が死を装った時に、全てを放り出すことができたはずだ。それでも二人は安陽に戻ることを選んだ。その結果、耿曙は縁談を受けざるを得なくなった。代国と雍国の和平のために。

「あなたは素晴らしい天子になられます。」姜恒は太子瀧に言った。

「あなたと兄さんさえいてくれたら、必ず努力するよ。」太子瀧は頷いた。

夜も更けた。姜恒は宗巻をしまい、太子瀧に別れを告げた。

 

扉の外で界圭が待っていた。寝殿に戻ると、界圭は寝床を整えた。

「考えておいてくれましたか?」界圭が尋ねた。

姜恒は苦笑いした。「何のこと?今日はもうからかわないで。身も心もくたくたなんだ。」

界圭は寝台に腰を下ろし、無遠慮に肩を並べて座った。「五国会議の後、一緒に逃げましょう。誰もいない場所に行って、誰にも邪魔されないようにするのです。」界圭は絶対にさっきの太子瀧との話を聞いていたのだ。

「死んだらどう?死んだらもう誰にも邪魔されなくなるよ。」姜恒は情け容赦なく皮肉った。界圭は笑顔で姜恒を見た。そして立ち上がって外袍をきちんとつるし、水盆を持って来ると、しゃがみこんで姜恒の足を洗い始めた。

「自分でやるから。」

「動かないで。」界圭はそういうと姜恒の顔を見上げながら手拭いで拭いてやった。

姜恒は界圭の双眸を見つめた。笑顔を見ていると、急に悲しくなって鼻がつんとした。

「あなたの左手……。」

「だめになりました。もう剣は使えません。でも私は嬉しいですよ。例えあなたに叩かれたり、罵られたりしても私は幸せです。あなたの心に私がいることの証明ですから。」

「そういうのはやめてよ、界圭。」今の話で姜恒が思い浮かべたのは耿曙のことだった。

「お兄上は結婚するんですよ。もうあなたのものではないのです。私と行きましょう、恒児。あなたが喜ぶなら、何だってしてあげます。だって見たくないでしょう……。」「開けろ。」耿曙が外から声をかけた。いつ来たのか、界圭の話をきいていたようだ。界圭は振り向くと、立ち上がって水盆を片付け、耿曙のために戸を開けに行った。

 

耿曙は部屋に入ってくると、寝台に座る姜恒と向かいあった。

「話がある、恒児。」

「言わなくていい。もう疲れたから、何も聞きたくない。」

耿曙はしばらく黙って姜恒を見つめていた。姜恒は視線をそらさず、「部屋に帰って寝て。早く休んだ方がい。朝廷はもうあなたたちのために日を選び始めているんだから。」

その時だった。耿曙はあっけにとられるような挙動に出た。(極端なんだよ。)

指を伸ばして武衣の留め具を外し、腰帯を解いて外袍を脱ぎ捨てた。

「自分の部屋に帰って寝れ……。」姜恒が顔を向けた時、耿曙は中衣を脱ぎ捨て、上半身をあらわにし、次に腰帯を取り去って白衣と長袴を脱ぎ落としていた。

姜恒:「!!!。」

姜恒は衝撃を受けた。耿曙の体を見たのは初めてではなかったが、今までは全くそういう方面で考えたことがなかった。二人はもう一年近く、一緒に入浴していない。今目の前にある耿曙の体は強靭で野獣の侵略性に満ちていた。ただその野獣はとても温順で、おいでと言われるのを待っているかのようだ。

姜恒にとってはなじみがあるはずなのに、薄暗い光の下で見ると未知のようでもある。ある記憶がよみがえってきた。……ずっと昔、耿曙が自分を抱いていた。洛陽宮殿で寄り添いあっていた夜の記憶だ。

姜恒はくらくらしてきた。耿曙は姜恒に向かって手を伸ばした。

「ちょ、ちょっと……。」姜恒は顔を真っ赤にした。何を言っていいかわからない。

「手を出して。」

姜恒は耿曙の掌に手を置いた。耿曙はその手を引っ張り、自分の胸に置いた。姜恒は彼の鼓動を感じた。耿曙の肌は熱くやけどしそうなほどだ。体からはいつもの男らしい匂いがする。「もう……やめて。兄さん。」

姜恒は衝撃を受けた表情のまま、寝台を少し譲った。耿曙は腰を下ろすと、全く遠慮なしに、自分の体を姜恒に見せつけ囁いた。「俺を見ろ。恒児、俺を見てくれ。」

姜恒はすぐに視線をそらした。耿曙は手を伸ばして抱き寄せようとしたが、姜恒は緊張して、耿曙を少し押し戻した。息をすれば、彼の体温や匂いを感じ、もう逃げ場はなかった。耿曙の野獣のような体はこの狭い空間を支配し、彼の領地に繋ぎとめようとしているかのようだった。耿曙は姜恒の手を握って自分の方に向かせると、寝台の上に倒した。「こんな……ことをするのは結婚するからなの?」

「こんなことに付き合ってくれ。」耿曙は姜恒の腕を押さえ、囁いた。「俺たちは兄弟ではないんだ。何がダメなんだ?」姜恒は恐れ、緊張していた。鼓動が速すぎて心臓が飛び出してきそうだ。身動きも取れない。少しでも動いたら、耿曙の体に触れそうだった。頭から足まで、くっつきそうなほど近い。耿曙がのしかかってきた。鼻がくっつく。

「界圭―――!」姜恒はつい叫んでしまった。界圭が戸を開け、一陣の風のように入ってきた。耿曙はすぐに姜恒を放した。

「言いましたよね。」界圭は冷ややかに言い放った。「無理強いするなら、私だって命を奪いますよ。」姜恒は起き上がって座ると服を整えた。顔は紅潮している。

「無理強いなんてしてない。」耿曙は全く気にせず堂々と寝台に腰を下ろした。

姜恒は界圭が手に持つ剣を押さえて耿曙に顔を向けて言った。「私は書閣で寝る。」

 

姜恒は深く息を吸った。頭の中は今見た光景でいっぱいだ。彼の体は何度も見てきた。子供のころから、なでたり、いたずらしたり。耿曙も親し気に撫でてきたりしたが、不適切だと感じたことはなかった。だけど今日、ついにわかってしまった。さっきのあれは、昔から慣れ親しんできた親密さと何の違いもなかった。そういえばずっと前から、時々反応していたことがあった。本能的な反応だと思っていたが、わかっていなかっただけだったのだ。

耿曙は寝台に座り、疲れたように息を吐いた。それから両手を広げ大の字になって横たわった。

 

姜恒は書閣に駆け込んだ。口の中がカラカラで座ってからも息が荒い。書閣から見た自分の寝室には灯がともっていた。

界圭が書閣の灯をつけた。上半身をあらわにし、長袴一着だけを身につけている。

「体を見るのが好きですか?私のも見せてあげましょう。」

姜恒はすぐに界圭の次の行動を制止した。「もう充分!」

界圭は単衣を着て別の一画にある席についた。彼の体は耿曙とは全然違う。耿曙は玉の如き白皙だ。:界圭は小麦色で、全身刀傷だらけだ。傷跡だらけの動物みたいに。

先ほどの刺激的な光景がよみがえって、姜恒は少し後悔した。つい本能的に界圭を呼んでしまったが、あのまま耿曙に抱かれて、口づけしていたら、どんな感じだっただろう?

もしまた耿曙があんな風に来たら、次には彼を押し返すことはできないだろう。耿曙の行動が衝撃的過ぎて頭の中が真っ白になったのだ。一方で興奮し、緊張もした。未だに手を触れたことのない、危険な体験だろうから。それなのに一切をもたらすのは自分にとってこの世で一番安全なはずの人だったのだ。

恐怖と緊張が収まると心に期待が湧いて来た。今までの人生でそういうことをしたいと思う相手はいなかった。安心して受け入れられる唯一の人は慣れ親しんだ人、耿曙以外にない。

(あの~女性は最初から眼中にない?)

耿曙以外に体に触れさせられるほど信用できる相手はいない。耿曙以外の人の手に触れられたくない。それなら受け入れて当然だったのでは?なぜ自分は本能的に拒否してしまったのだろう。

 

「折り合いがついたんですか?私が彼の役をやって教えてあげましょうか?」

「や、め、て!もう寝る。」姜恒は顔を火照らせて横になったが、すぐにまた起き上がって外を見た。神殿にはまだ灯がついている。耿曙はまだ出て行かないんだ。また別のことを思い出してしまった。郢と江州城にいた時のこと。刺客を追って衣装棚に隠れていた。彼らの喘ぎ声を耿曙に抱かれながら聞いていると、自分たちがしていることのように感じた。それに偶然出くわしてしまった趙竭と姫珣。

 

この夜、かれはうつらうつらしながら、耿曙に抱きしめられる夢を何度も見た。服を脱ぎ捨てた瞬間に、彼らは洛陽王宮に戻っていた。「恒児……。」夢の中の耿曙が耳元でささやいた。

姜恒ははっと目を覚ました。誰かが書閣の戸を叩いている。界圭が欠伸を噛み殺しながら言った。「何ですか?こんなに早く何の用です?」「俺だ。」耿曙の声が再び聞こえてきた。

姜恒:「!!!」

「彼は起きたか?」

「いいえ。」

耿曙が追ってくるとは思わず、姜恒ははまたとても緊張した。

「だったら、外で待っているから、起きたら来させてくれ。話があるんだ。」

姜恒が目をやると界圭は「行って」という仕草をした。耿曙にかまわず寝なさいと言う意味だ。「袴が……。」界圭はすぐに気づいてニヤリとすると窓から書閣を出て行き、すぐに着替えを持ってきてくれた。

 

夜が明けた頃、姜恒は書閣の戸を少しだけ開けた。耿曙は服をしっかりと着込んで、外の階段に座っていたが、振り返って姜恒を見た。「起きたか。」

姜恒は、うん、と言った。あの後で、耿曙にどう向き合うべきかわからなかった。耿曙は外袍を持ってきたが、姜恒がすでに身支度を整えているのを見ても意外そうではなかった。

「一緒に来い。」耿曙は彼には触れず、急ぎ足に書閣を出て行った。

姜恒:「???」姜恒は耿曙について行ったが、追いつくのが大変だ。

 

耿曙は太子瀧の部屋の扉をたたいた。「汁瀧!起きろ!お前に言いたいことがある。」太子瀧はまだ寝ていたようで、急に起こされて何とか返事をしていた。耿曙は庭園をまっすぐ通り抜けて、別の扉をたたいた。「孟和!そこにいるか?」

姜恒は驚いた。「孟和はいつ来たの?」耿曙が答えた。「夕べ着いた。」

耿曙は足で別の扇門を蹴り開け、中にいた人は驚いた。山沢と水峻は寝台で寝ていたが、山沢が頭を上げた。「王子殿下……今度は何です?ちょっとはご配慮願えませんかね?」

「議事だ。」耿曙は言った。そして次々に進んで行き、最後に殿前に戻ってきて姜恒を見た。

姜恒は何も言わずに門を開けて正殿に入って行った。人々がぞくぞくとついてきた。

太子瀧、孟和、郎煌、水峻、山沢、皆、観礼のために昨日安陽についたばかりだ。婚礼の報せは飛ぶように広まっていた。汁琮薨去の後、雍国最大の慶典となるはずだ。

耿曙は殿内に入ると辺りを見回した。皆欠伸をしている。次の瞬間、彼は自ら問題を解決しにかかった。「縁談は白紙だ。」そして姜恒の手を引っ張って大真面目に言った。「俺は娶らない。お前たちの中で娶りたい者がいるなら娶れ。誰もいないなら、姫霜は帰らせろ。」

太子瀧:「……………………。」

姜恒:「……。」

声が上がった。郎煌と山沢は漫談を聞いたかのように大笑いした。孟和はまだうとうとしていて、「なになに?なんて言ったんだ?」と尋ねている。

太子瀧の表情は少し憂鬱そうだった。「わかったよ、兄さん。」

姜恒:「ちょっとこれは……」

それから耿曙は再び太子瀧に言った。「恒児は父さんの子じゃない。俺たちは実の兄弟ではないし、恒児は耿姓でもなければ、耿家の人間じゃない。」

次の瞬間、姜恒を含む全員が完全に驚愕した。内情を知る郎煌は慌てて耿曙に目で警告した。こんな風に真相をぶちまけていいはずがない!収拾できなくなるぞ!

「今なんて?」太子瀧の表情は茫然としていた。だが、耿曙は無情にも太子瀧に最後の一撃を喰らわせた。

「俺が好きなのは恒児だ。彼の気持ちがどうでも構わない。だが俺たちは決して離れない。死ぬまでだ。これで俺の報告は終わりだ。」

      (界圭は煽ってけしかけて、応援してやったんじゃないのかなあ)

 

 

ーーー

第184章 解き放たれた野獣:

 

「兄さん……ちょっと……待ってよ。」太子瀧は言った。「恒児、これはいったいどういうこと?!」

姜恒は殿内に静かに立ったまま、耿曙の顔を見てみたが、耿曙の表情からして、一切の説明はなさそうだ。

「私……は、」姜恒は考えた。「そうなのです。私は耿家の……実は私は耿家に養われた……孤児なんです。」

一同はみな言葉を失っていた。山沢が最初に反応して言った。「それでも一切変わらないよ、姜大人。王陛下は既に天下に宣言したんだから、あなたの身分は今まで通り、耿家の……耿家の後継者だ。」だが言い終える前に、山沢には恐ろしくも驚くべき考えが浮かんでいた。郎煌がすかさず後にい続いた。「その通り!生まれを卑下することはないぞ。」

太子瀧は、ことは小さくはないとはわかったものの、未だ驚天動地のこの事実を受け止め切れていなかった。一つずつであったとしても消化するのに時間がかかる事実を三連続でぶつけられたのだ。その因果関係も含め。太子瀧の頭に浮かんだ考えはただ一つ。

彼らは私をかついでいるのだろうか?

 

耿曙は話し終えると、更に説明を加える意図もなく、淡々と言った。「恒児、行くぞ。」

こんなに時がたっても、彼は全く変わっていない。やっぱりこのままの彼なのだ。姜恒にとって耿曙の唯一の印象は初めて会った日、背中に黒剣を背負い、潯東にやってきて、姜家の大門を叩いた時のあの澄み切った瞳だった。荒野に生きる一匹の野獣―――まだ人に成りきっていない、いや、礼儀や規則に束縛された『人』などには敢えてなろうとしない。

汁家は彼を養い、彼も汁家のために多くを差し出した。それでも最後には一切を取り去って、自由自在に生きる、気ままな人間に戻ったのだ。

 

「山の上まで歩いて行きたい。お前も行くか?」耿曙は姜恒に尋ねた。

夕べのことよりも、今朝の耿曙の行動に、更に姜恒は困惑した。初めは、結婚するせいで、耿曙はその前に自分のところに来て、何かを行動で伝えようとあんなことをしたのかと思っていた。だが、昨日のうちにすでに縁談は断るつもりだったなんて!

 

耿曙は辛抱強く姜恒の答えを待っていた。姜恒は考えた末、頷いた。

「昨日の銀杏の葉は俺の母さんのためだろう?」

「戻って……取ってくるよ。」

姜恒は陣幕の中で策を練り上げて、千里の彼方から味方を勝利に導くことはできるかもしれないが、苛烈に燃え盛る真心や情愛のことはわかっていない。

「また買えばいい。行くぞ。」

正殿を離れる時、耿曙は界圭に目をやり、言った。「ついてくるな。お前に機会はない。」界圭は意味ありげに笑い、言い返しはしなかった。耿曙は姜恒にさあ行こう、と伝えた。

姜恒:「……。」

二人は宮を出て行った。「ねえ……ちょっと待って。少し休ませてよ。」

姜恒はなんだか吐きそうになった。夕べはちゃんと眠れなかったし、今朝の耿曙の発言には衝撃を受けた。宮壁にもたれ、頭を低くしてから、再び耿曙を見上げた。耿曙は近くで待った。「気分が悪いのか?」姜恒は首を振った。茫然とした表情だ。

「あれは本当なの?」

耿曙は姜恒から三歩の距離まで近寄り、うん、と言った。「お前に無理強いするつもりはない。ただ彼らに伝えたかったんだ。俺の気持ちの問題でお前には関係ない。」

「私はてっきりあなたは……。」

「俺がてっきり何だ?」

姜恒は首を振った。「何でもない。」

耿曙は市場で新たに輪飾りを買い、姜恒と山頂まで上がって行った。そして墓苑に入り、母親の墓碑の前に置いた。それから姜恒と前後になって、墓苑下の山里まで歩いて行った。

梁国の料理屋も再び営業していた。雍は姜恒の計画の下、梁地における最大の免税政策を施した。三年間一律に免税するのだ。それは塞外から中原への人の流入を促した。市場、民生、耕作、色々な産業が雨後の筍のように伸び、どんどん復興が進んでいる。

 

「麺でも食うか?」耿曙は角の場所を探した。いつも通り警戒を惜しまない。周辺に危険がないか確認してから、姜恒を座らせた。「そうだね。」姜恒はもうずっとこんなに長く耿曙と二人きりで過ごしていない。

楓の葉が山からひらひらと落ちてきて、卓の上にのった。

姜恒は耿曙を直視できなかった。夕べのようなことがあった後だ。あの場面は簡単に忘れられるものではない。―――例え今はきちんと着付けてまっすぐに座っていても、漆黒の武衣の襟を留め具で首まで留めた喉元、胸元、暗錦雍服に包まれた強健な体はあの時の耿曙の全身を思い出させた。

 

耿曙は姜恒に箸を渡した。「夕べは驚かせたんじゃないか?」

「ううん。」姜恒は頬が赤らむのを感じた。

耿曙は急に笑い出した。箸で姜恒の頭を軽くこすると言った。「酔っていたんだ。あまり気にしないでくれ。」姜恒はさらに顔を赤らめて耿曙の方を見た。耿曙は笑みを湛えた眼差しで彼を見ていた。「ゆうべ俺は……」耿曙はなかなか言葉を見つけられずにいたが、姜恒は遮ろうとはしなかった。耿曙は最後に心を決めたように言った。「夕べ俺は色々なことを考えたんだ。あんな風にいうべきじゃなかった、恒児。お前は俺のために雍国に戻ってきた。お前の目標も抱負も全部俺のためだったんだよな。」

姜恒は小声で言った。「そうだよ。やっと思い出したんだね。」

二人はしばらく黙っていた。それは姜恒がいろいろな苦労をすることになった原因だった。海閣に入門し、国君を助け、神州を統一する。全ての始まりとなった思いは今も変わらない。

 

「俺が雍に帰りたがらなければ、こんなやっかいごとはなかったんだ。ずっとわかっていたよ、恒児。そういうことなら、俺は……俺は……。」

耿曙の心が晴れないのが姜恒にはわかった。姜恒が色々な困難にあうのも自分のために雍国に来たからだった。自分のために姜恒は汁琮に殺されそうになった。そもそも自分のせいで姜恒は赤ん坊の時の胎記を失い、身の上を証明できないのだ。

「そんなことはないよ。私の望みは実はそんなにないもの。知っているでしょう。」

耿曙は姜恒を見つめた。

「あなたと一緒にいられたら、どんなことだってできる。」姜恒は小声で言った。

耿曙は笑い出した。「だったら、あんなことだってできるんじゃないか。」

姜恒は更に赤くなった。怒ったような表情で眉をしかめて耿曙を見る。

耿曙は失言に気づいた。夕べ彼は一時のぼせ上ってしまった。山沢と郎煌の景気づけの酒杯を飲み過ぎたためもある。あの後すぐに後悔したのだ。

「違うんだ、俺は……。」

「あなたが本当に望むなら、」姜恒は声を低めた。「できないことは何もないよ。……も、何もね。」

耿曙:「!!!」

耿曙は首まで真っ赤になった。「お前……恒児、お前……。」

 

姜恒は心臓がどきどきして血が全て顔に上がってきたように感じた。子供のころから、耿曙とは数えきれないほど多くの時間を ‘包み隠さず’ 向き合って過ごしてきた。成長して再会してからも、その習慣に何の罪悪感も感じなかった。もっと言えば、初めて趙竭と姫珣がああいう風に重なり合っていたのを見た時も、醜い行為とは思わず、むしろ二人の絆を感じた。

水中の魚、空の鳥、天地のように、自然であるべき形、美しいものであると感じていた。

 

「万物は私と共にある」の歌のように。感情が究極に達すると、自然と自然が合わさりあう境地に達するのだと姜恒は理解していた。それなのになぜ拒んだのだろう。ふと気づいた。

耿曙はもうずいぶん自分を『兄』と呼称していない。無意識にか、その言い方を避けて、お前、俺、という言い方に変えていた。

「受け入れられていないのはあなたの方だよ、兄さん、わかっているの?」

一瞬にして姜恒が主導権を奪い返した。ついにこの打ち合いに於ける風向きが変わり、戦局が逆転した。

「以前と今とで私は態度を変えた?」姜恒は更に一撃を加えた。姜恒は身の上を知ってから、姜家でもその後でも耿曙に対する態度を変えていない。口づけだってした。実の兄であろうとなかろうと。だが耿曙の方は意識しだし、少しずつ距離を保つようになった。

麺が来たが、耿曙は箸もつけず、食べようともせずに、そんなことはないと言いたげな表情で姜恒を見ていた。

「どうなの、兄さん、」

「俺はお前の兄じゃない。恒児……。」

「いいえ。あなたは今でもそうだよ。」

耿曙には姜恒の言う意味がわからない。姜恒は声色はやさしく、だが語気は強く言った。

「もし兄弟のままでいられるなら、私は他の身分なんていらない。あなたもそうではない?」

耿曙はすぐには答えられずに、しどろもどろになった。「お前…が言うのは……恒児……。」

姜恒は小声で言った。「もしあなたが兄さんなら、いいよ。勿論いい。私に何をしてほしくても、喜んでする。だけどあなたが自分を別の人間として見てほしいのなら、私は、悪いけど……無理だ。」

耿曙は小さく唾を飲み込んだ。「わかったよ、恒児。俺はただ……無理強いしたくないんだ。」

「あなたが何かしてくれる時に、私が無理強いしたくないとかって言ったことがある?」

「ないな。」耿曙は答えた。

今までずっと、一方が何か求めると、もう一方が与え満たされるという関係を自然に続けてきた。ただ耿曙にとっては、姜恒が自分の弟ではないと知った時、二人の間の最後の障碍が取り除かれたように感じたのだ。逆に姜恒にとっては二人で気づき上げてきた絆こそが大事だった。―――彼は姜恒として耿曙を受け入れたかった。別の誰か、汁炆としてではなく。

 

「理解できたなら、」姜恒は更に顔を赤らめて、麺を食べ始め、大急ぎで言った。

「どうするか、あなたが決めて。」

耿曙も顔を真っ赤にして下を向いて、うん、と言い、二人は暫く目が合わせられなかった。

楓の葉が一枚、山からひらひらと落ちてきて、空中を彷徨い、最後に耿曙の頭の上に落ちた。

姜恒は手を伸ばしてとってやり、横に落とした。耿曙が金を払い、二人はゆっくり山里を出て行った。「これからどこに行く?」耿曙は遠方の埠頭に目をやった。数か月前には、あの場所で、危機一髪の包囲攻撃にあった。今では小舟が林立し、黄河の水面を行ったり来たりしている。今すぐ姜恒を連れて行き、埠頭から船に乗って、中原を離れて行きたいと切に望んだ。だが姜恒は言った。「帰ろうか。色々終わらせないとね。」

 

耿曙は否定はせず、姜恒と共に安陽宮に向かった。今朝の話が波紋を広げているだろう。太子瀧は群臣たちと今後どうするか、話し合っている最中かもしれない。だが彼は気にしなかった。今まで何も気にしたこともない。気になるのは姜恒が何を望むかだけだった。

(汁瀧も気の毒に。)

 

 

ーーー

第185章 心の痞え:

 

「孟和!」

王宮の庭園を通っていると、孟和が姜恒を呼んだ。

(久々だが、孟和は風戎語で恒という意味で、二人はお互いに孟和と呼び合っている。)

孟和、郎煌、山澤、水峻の四人が庭園で談笑していた。何に興奮しているのだろう。

耿曙は今日、公に再度縁談を断った。太子瀧は扉を閉めて対策を協議中だが、当事者の耿曙は素知らぬ顔だ。四人は耿曙と姜恒を見て、少し気まずそうだったが、耿曙は尋ねた。「何をしているんだ?」

「見ろよ。」孟和は二人に庭園の中のものを見るようにと指さした。

巨大な二頭の黒熊を見て、姜恒は腰を抜かしそうになった。

「これは……。ちょっと気でも狂ったの?王宮に熊を連れて来るなんて!!早くどこかに放してきてよ!」

孟和の漢語はとても流ちょうになっていた。「こいつらを忘れたのか?君らにやるよ!二人の門出祝いだ!」

姜恒:「………………。」

 

耿曙も不意打ちにあった。二頭の黒熊は立ち上がると彼より背が高く、四、五百斤はありそうだ。首に鉄鎖をつけられ、花園の中でじゃれあっているが、逃げられでもしたら、一撃で人の頭をたたき割りそうだ。

「こんなに大きくなったのか?」耿曙は信じられなかった。

姜恒も思い出した。一年以上前、塞外を歴訪していた時に、何の因果か、二頭の子熊を救ったのを、孟和が家に連れて行って育てたのだ。あの時孟和はある程度育てたら送ってやると言っていたっけ。「あ……な、何を食べてこんなに大きくなったの?し、信じられないよ。」

「そりゃ肉さ。」孟和は熊を連れに行った。「来いよ、君のことを覚えているか確かめよう。」

「やーーーめーーーろーーー!!!」皆色を変えて、孟和の危険な挙動を制止した。耿曙はすぐに姜恒の前に立った。だが、武功を極めても、四、五百斤の黒熊を取り押さえるのはやはり危険だ。

「にが……逃がしてやろうよ。うん、すごいね。まるまる太って強そうだ。」

孟和は本来、耿曙の婚礼祝いとして二頭の熊を贈ろうと連れてきた。きっと驚き喜ぶだろうと。だが意外なことに皆、驚くだけで喜びはしないようだった。そこで仕方なく言った。「いいよ!わかった、逃がすんだね!」全員が同時に青ざめ、一斉に叫んだ。

「こ!こ!で!じゃ!な~~~~い!!!」

二頭の熊が町を走り回れば、笑いごとでは済まない。「じ、時間を作って……少し遠くに放しに行こう。人のいない山の上がいい。玉壁関にしよう!」

孟和は姜恒に二頭をなでさせようとした。姜恒は腹を決めて手を伸ばした。耿曙は警戒を緩めない。幸い二頭は孟和によく慣れていたし、大事な点としては、ちょうど満腹だった。けだるそうに頭を上げて匂いを嗅ぎ、目を細め、姜恒に鼻先をなでさせた。

「君の匂いがわかったみたいだ。友達だってな!遊びに連れ出してみるか?二頭に鞍をつけて、君らで騎ってみるかい?」孟和が言う。

「やめとく。」姜恒はきっぱり断った。「こ……このままにしておこう。うん、いいねえ。君は本当にいい人だ。孟和。」

 

耿曙は郎煌が何か言いたげに眉を揚げたのに気づいた。郎煌は正殿を指さした。

『君はちょっとしたやっかいごとを引き起こしたようだぞ。』という意味だ。

空が暗くなった頃、戻ったばかりの姜恒は太子瀧に呼び出された。正殿に入ると、文官たちが勢ぞろいしていた。今日は武官は一人もいない。

太子瀧は姜恒を見た。どうやら前々からそんなことではないかと思っていて、ここ何年かに渡り疑問に思っていたことの回答を得たといった感じだ。

「結論は出ましたか?」姜恒が尋ねた。太子瀧は頷き、それから目で伝えた。『なんとか解決してみせるから、大丈夫。信じて。』

「ここはやはり、淼殿下ご自身の口からお聞きしたいところですね。」曾嶸は太子瀧から話を聞いて頭を痛めていた。だが、姜恒が臣下たちの表情を見たところでは、太子瀧は枝葉をつけずに、耿曙が縁談を断ったことだけを皆に伝えたようだ。耿曙に替わって、その他のことは伏せると決めた。一旦表ざたにしてしまったら収拾がつかなくなるからだ。

足音が聞こえた。なじみの足音、耿曙だ。彼は正殿には入らず、侍衛の一人であるかのように、外に控えていた。

「兄さん、入ってきたら。」太子瀧が呼びかけた。

「入らない。俺はここで恒児を待つ。お前たちで話してくれ。」

殿内は再び静まり返った。こんなことは前代未聞だ。いつの時代も、雍国だけでなく、どこの国でもみな一様に、政略結婚を断る王族などいない。国君や公卿の家のことはわたくしごとではなく、国家の事業である。対局を重んじ、例え国君であっても断ることなどできない。

あの汁琮でさえ、文句ひとつ言わなかったのに、一王子の身である耿曙ならなおのことだ。

だが耿曙がすでに決めたのであれば、無理強いなどできないことが太子瀧にはわかっていた。彼は耿曙に対し、「本気ですか?」と聞くことすらしなかった。まじめで口数の少ない人間が、こんな無茶な冗談を言うはずがないし、そもそも耿曙の冗談など聞いたことがない。彼がこうと言えばこうなのだ。太子瀧は、そこは絶対に尊重する。

 

「それじゃあ、考えましょうか。姫霜公主をどうなだめるかと、他に方法があるかを。」

曾嶸が言った。「王后になっていただくしかありませんでしょう。」

「開戦しましょう。公主は王后にはなれないし、してはダメです。外戚の力が強くなりすぎる。」姜恒が言った。

周游はもう黙ってはいられなかった。「姜大人、休戦と和議を求めたのはあなたですよ。それなのに今度は開戦しろと言う。言いたい放題で恥ずかしくはないのですか?」周游など姜恒の敵ではない。発言を逆手に取って言い返す。「周大人、あなたの縁談の際には、あなたにも言いたい放題の番が回ってきますから、それまでお待ちいただきたいですね。」

皆姜恒の言う意味はわかった。今は縁談について発言権があるのは二人だけ、耿曙と、まもなく国君になろうとしている太子瀧だ。当事者がいやだというのなら、他人に何ができようか。決定権は二人が持つのだから、二人の言う通りにするのは当然だ。

「李氏が朝廷に入ってくるのを制限すれば、利点もあるかもしれません。」曾嶸が言った。

それは赤裸々な権力の分配だ。皆もう隠しておけず、はっきりさせなければならなかった。太子瀧と姫霜が結婚すれば、何が良くなり、何が悪くなるのか。

周游が言う。「次の代の国君は名実ともに天子となる、それが利点でしょう。」姫霜は今や、姫家唯一の子孫だ。太子瀧との間に生まれた子は自ずと継承権を持つ。大争の世はその子の誕生を以て、完全に幕を下ろし、五国は新たな統一を迎える。

 

太子瀧は姜恒に言った。「確か天子が金璽を君の手に渡した時には……。」

「あなたは結婚したいのですか?」突然姜恒が言った。

一同は利害の分析だけをしていた。耿曙が対象であった時と同じ、誰も当事者の意向に関心はない。当然ながら姫霜の意向にも。

太子瀧は回答を避け、笑って言った。「国君なのだから、断れるはずはないよ。」

「それは王道ではありません。」姜恒は厳かに言い放った。皆言葉がなかった。

「変法を始める時に、あなたも私も宣言しました。この国に生きる人が自分で選べるようにすると。国君であるあなたにそれができないのに、民には自分で選べと言えるのですか?」

姜恒は話を続けた。「天子は私に金璽を渡す時に仰いました。大争の世を終わらせるのならどの国の国君を助けてもいい。どうしてもふさわしい人がいなければ、自分が天子になってもいいとさえも……。」それを聞いて皆騒然となったが、姜恒は明瞭な声音でそれを押さえつけた。

「……ですが、姫家の血筋であること、とだけは仰いませんでした。王道とは血脈によって伝承されるものではなく、金璽でさえ無関係です。王道がその身に備わっている人、それが天子です。肝心なのはあなたが何を堅持するかなのです。」

 

「代国には兵力はあるが、雍は彼らを恐れる必要はない。来るなら来いだ。」耿曙が戸外から言った。太子瀧はため息をついて、姜恒を見た。寂しげな表情だった。

「あとでもう一度話そう。」太子瀧が言った。元々、彼は耿曙の替わりに縁談を受けると決めており、姜恒を呼んだのは、耿曙か姜恒に姫霜を説得してもらい、話を丸く収めてもらうためだった。だが姜恒のこだわりを見れば、太子瀧もそれが最善とは思えなくなってきた。

「恒児は残って。」太子瀧が言った。「兄さん、あなたはもう行っていい。」

臣下たちはそれぞれ出て行き、外にいた耿曙も帰って行った。姜恒はそのまま立っていた。落日が、安陽宮内の二人の前に残光を投げかけた。王卓には玉玦のもう片方が置かれていた。

姜恒は数歩近寄って、その玉玦を見た。それは本来彼のものだった。だが彼は一度もそれをつけたことがない。ほんのわずかな間持ったことさえない。彼にとっては、耿曙が持つ陰玦の方が、ずっとなじみがあった。陽玦は見知らぬ存在のように思えた。

このところ姜恒は考えていた。もし自分が太子だったなら、天下を一つに収めるためなら、姫霜と結婚していただろうかと。陽玦と同じく、この難題は本来自分のことのはずだった。

太子瀧が言った。「兄さんの替わりに私が結婚したっていいんだよ。」

「誰かを好きになったことがありますか?」姜恒が突然尋ねた。「兄上、あなたの心に想い人はいますか?あなたは本当に好きな人と一緒になるべきです。」

 

一つはっきりしていることがある。―――太子瀧は自分の従兄だ。二人には血のつながりがある。その父親とはうまくいかなかったが、彼は死に、全て過去のこととなった。二人は兄弟も同然だ。姜太后が言ったように汁瀧は家族だ。たった一つ年上なだけの。初めて会った時の太子瀧は自分より更に天真爛漫だった。だがここ数年、慣れない役柄を演じさせられ続け、このままでは自分を失ってしまうだろう。

太子瀧は静かに姜恒を見つめた。「いないよ。」

「あなたの未来への道はまだまだ長いのですよ。」

「父は母が好きではなかった。」太子瀧は無理に笑って見せた。「好きな者同士が一緒になるなんてこと、今までずっと聞いたことがない。どんな感じなんだろうね。」

「兄上。」

「かまわないさ。」太子瀧は笑った。「時々思うんだ。君は遠縁なんかではなくて、実の兄弟みたいに感じることがある。兄さんにもそんな風には感じなかったのに。」

太子瀧は姜恒の肩を叩いた。「だけど後になってだんだんとわかってきたよ。聶海氏は君をとても愛していたんだね。あの四年間、彼は毎日君のことだけを考えていた。君が戻ってきてからは、彼が君を見る時の眼差しは、他の人を見る時とは全く違っていた。表情も変わった。人そのものが変わった。たくさん話すようになったし、あの頃みたいな冷たい氷の彫像みたいではなくなった。」

姜恒が何も言えずにいると太子瀧は話を続けた。

「今朝兄さんが言ったこと、彼は遅かれ早かれ私に言うつもりだったと思う。心に痞えてたものを落とせたのではないかな。」(もう汁瀧はいい人過ぎる)

 

姜恒は正殿を出てからも太子瀧が言ったことを考えていた。耿曙が灯の下、腕を組んで待っていた。戻ってくるのを聞きつけ、迎えに来たのだ。

「汁瀧は何だって?」

「別に何も。」姜恒は耿曙に説明せず、部屋に戻った。耿曙は界圭を見つけると、口を少しだけ動かして、「出て行け」と告げた。界圭はにやりと笑って去って行った。

「縁談を断った後は、すぐに連合会議を招開しないと。これ以上は待てないよ。」姜恒は寝台に座り、小声でつぶやくと、顔を上げて耿曙を見た。「自分でちゃんと姫霜に言うんだよ。これはあなたの責任なのだからね。」

「兄には勇気が必要だ。勇気を与えてくれ。」

姜恒:「……。」

またあの感覚が戻ってきて、姜恒の胸は再び狂ったように高鳴り始めた。太子瀧の話が耳に残っている。耿曙は毎晩冷え冷えとした神殿で寝がえりを打ちながら、死よりつらい日々をどうにもできずに生きていたのだ。十二年。姜恒が家の大門を開けた時から、この日が来るのは決まっていたかのようだ。

 

姜恒は耿曙の服を引っ張り、伸びあがって彼の唇に口づけをした。「これでどう?」

耿曙は顔をそむけ、姜恒と視線を合わせなかったが、しばらくすると向き直ってその目を見つめた。「足りないな。」

姜恒はどきどきしながら立ち上がり、耿曙の前に立つと、外袍を脱ぎ、単衣に内袴姿になった。ちょうど入浴しに行く時にしていたように。耿曙の呼吸が速くなる。姜恒の白玉のような体を見入って、瞳に思慕の念が満ちた。姜恒の体を見たことは何度もあるが、前は姜恒だけのものだった。今回だけは自分のものだ。

姜恒はとても恥ずかしく、顔も首も真っ赤にしながら、目を閉じた。耿曙の直視に耐えられない。目を閉じていれば、灯が消え、世界が一片の闇になったと思えるかもしれない。

 

……

(↑検閲?ま、どうせうまく翻訳もできないだろうし)

 

「子供の頃はいじって遊ぶのが好きじゃなかったか?」静寂の中、耿曙がようやく一言言った。姜恒は耿曙の横顔をなでた。先ほどまでの緊張は全て消え失せ、代わりに得たのは、二つに割れていた玉玦が長い年月流浪した後で、再び一つに合わさったような感覚だった。

 

彼はふとずっと前、洛陽宮で、仕事を終えて寝殿に戻ってきた耿曙と共寝していた頃のことを思い出した。あの頃は幼く、何もわかっていなかった。冬の吹雪の夜、薄い上掛けにくるまれて、耿曙は自分をしっかりと胸の中に抱いて、自らの体温で温めてくれた。

あの頃、耿曙の体をこするのが好きだった。意味は分からずとも、気分が良かったのだ。耿曙はそれをされると困ったような顔をして、すぐにやめさせたが、本当はやめさせたくないかのように、くっついて寝させてくれた。今思えば、あんな風に過ごしていれば、最後には絡み合うことになって、きっと、……こんなことになっていたのでは?

「何を考えているんだ?」気持ちが回復してきた耿曙が少し緊張しつつ、見つめてきた。「何かちょっと違う気がしない?」姜恒の記憶では、『こういうこと』の意味は耿曙と違う気がしていた。

 

…… (再び検閲)

 

「遊ぶな。寝るぞ。」耿曙が囁いた。

連続二度の体験の後、まだ胸がどきどきしていた。寝台のとばりの中は耿曙の侵略的な匂いが満ち、まるで縄張りを作って、その中で姜恒を守ろうとしているようだ。

「ちょっと疲れた。」姜恒が言った。

「お前は動いていないだろう。」耿曙は姜恒を抱きしめ、胸の中から少しの隙間も空けることを許さない。「動いたのは俺の方だ。」

「それでも疲れるよ。」姜恒は苦笑いした。

「そういう意味じゃない。俺は……疲れさせたくなかったんだ。寝ろ。」

姜恒は今日、人として生きる上での試練を終えた。ここまで来て筋力も疲れ果て、耿曙の胸の中で縮こまり、力強い腕を枕にした。耿曙は激動を押さえきれず、まだ胸が高鳴っていた。

生涯で最も切望してきたものをついに手に入れたのだ。これから先の人生、二度と自分の運命を恨むことも、誰かを恨むこともないだろう。

 

 

翌朝、目を覚ました姜恒は庭から琴の音が聞こえて来るのに気づいた。耿曙はどこかに行ってしまった。姜恒は寝ぼけまなこで起き上がった。昨日のできごとは忘れていた。耿曙の体温がまだ残っているが本人の姿はない。以前、落雁にいた時、自分を養おうと耿曙が働きに出ていたときのようだーーー。

―――あの頃、耿曙は服を一着しか持っていなかった。漆工の仕事をすると外衣が汚れ、宮に戻って服を洗えば、他に着るものがなく、素っ裸で寝るしかなかった。姜恒もそんな寝方に慣れていった。

ゆうべ何があったのだっけ?姜恒ははっとして黙り込んだ。記憶が蘇ると、再び体が熱くなった。庭に響く琴の音は雲や水が流れるように優雅だ。耿曙が琴を弾いているのだ。

彼の指は細長く、弦を抜く時の力強さは誰にもまねできない音を作り出す。ずいぶん上手に弾けるようになったけど、きっと耿曙に違いない。鳥の群れが空を飛んでいくような曲調で聞いていると心が明るくなった。

耿曙は心の中の激動を表すために琴を弾いた。姜恒は琴の音の中に耿曙の心の声を聴いた。

歓喜の気持ちの持って行き場がなく、彼は庭で琴を弾くことにしたのだ。《行雲吟》の後には、《越人歌》を。歌にはもう悲しみは全くなく、広く高い碧空、限りなく広大な天地の音へと変わっていた。ついに琴の音がやむと、耿曙が扉を開けて入ってきて、姜恒を見つめた。

耿曙は日の出とともに起き、黒の上下に身を包んでいた。姜恒がいつものように手を伸ばすと、耿曙はすぐに近寄り、姜恒は彼の首に抱きついた。

「沐浴しに行こう。」耿曙は姜恒の耳元でそう言うと、宮内に沐浴しにつれて行った。起床、洗顔、着替え、と、子供のころからしてきたように。