非天夜翔 山有木兮 日本語訳 第12章

非天夜翔 山には木があり

第11章 天月剣:

 

昭(ジャオ)夫人と衛(ウェイ)婆が仕事を終えて帰ってきさえすれば、すべてはゆっくりとよくなるだろう――耿曙(ガンショウ)は眠りの中でそう考え、「因果応報」という言葉を頭から排除しようと努めた。梁国の家を出た日、彼は隣の屠殺屋の家に放火した。賊が母の死体を冒涜した報復として、その家が燃やされるのを見ていたのだ。

 

浅い眠りの中、不安そうに何度も動いていると、部屋の外からいらいらした叫び声がした。昭夫人が、まとった青錦の半身をを紫と黒の血で染め、戸を押し開いて入ってきた。

「恒児ー(ハンアール)!」

耿曙は一瞬にして目を覚ました。

昭夫人は思わず前に出て、地面にひざまずくと、焦った表情で姜恒(ジャンハン)を見つめた。「母さん?母さん!」姜恒は目を覚まされ、まだ夢の中にいるのかと思ったが、すぐはっきりした。母の体の血なまぐさいにおい、冷たい顔でわかった。これは夢ではない。昭夫人の全身は震え、体についた血が姜恒の半身にもついた。

「姜家の先祖代々のご加護に感謝します。…恒児(ハンアル)…恒児…」と震えた。

昭夫人は少し口を開け、髪は乱れ、顔に汚れと血痕が付いていた。姜恒は彼女がこんなに慌てているのを見たことがなく、無意識に母の首筋を抱いて、わっと泣き出した。

「母さん!怪我はないよね?!」

「恒児……」

 

兵士たちはついに県令が亡くなったのを発見し、大声をあげて押し寄せてきた。部屋の中では母子二人が抱き合って慟哭し、兵士たちは県令に向かって叫んでいた。

冷たい空気が一瞬にして流れ込み、姜恒は全身を震わせた。耿曙はようやくほっとした。

ゆっくりと立ち上がり、部屋の外の中庭のところに行き、戸を閉めた。中庭には背の高い痩せた男がいた。黒い布で顔の半分を覆って、まっすぐに立っていた。耿曙を見ている濃い眉の下の大きな目は、彼に向かって笑っているようだ。

耿曙は彼が数日前、夜中に姜家に来て、昭夫人に敵の将軍を暗殺するように説得した人だと認識した。

 

「何を見ている?」耿曙は冷ややかに言った。「耿淵(ガンユエン)を見ている。君は彼によく似ている。同じ型で押されたようだ。」

刺客の口調はとても丁寧で、まるで耿曙を通して、別の人、別の時間を見ているようだ。耿曙は何と言ったらいいかわからなくなった。

「名前は?」耿曙はまた言った。

「項州(シェンジョウ)。」覆面の男は布を外して顔全体を見せた。顔の左に篆文「棄」の文字が刺青されていた。項州は耿曙が想像していたよりも若かった。父の耿淵を知っているなら、それほど若くないはずだが、この人は肌が白く、俊秀な顔をしていた。黒い眉、生き生きとして明るい目、赤い唇、顔は玉のようで、体は竹のよう。奥ゆかしい君子といった感じだった。

項州は耿曙に自分の顔を見せてから、また覆面巾をつけた。それはある組織が礼儀を示すやり方のようで、耿曙を受け入れたという暗黙の了解だった。

耿曙は不審そうに彼を見てから、腕につけた暗い色の小さな珠数に視線を移した。珠数はクチナシの実くらいの大きさで、どの珠子にも、人の名前が刻んであり、項州の腕を3周まいていた。

耿曙は井戸の囲いの傍まで行き座って、横から祠を見た。「あんたたちは郢国将軍の羋霞(ミシャ)を殺しに行ったのか」と言った。「そうだ」項州は耿曙の視線の先を見た。姜恒の泣き声はもう止んで、話し声が聞こえてきた。

「衛(ウェイ)婆は?」耿曙は少し不安になった。

「死んだ」と項州。

 

少し前:

項州は馬車を御し、郢国将軍、羋霞の首を持って、昭夫人と一緒に帰ってきた。姜宅の大門に着いた時、昭夫人は目を白黒させ気絶するところだった。

目の前には煙がもうもうと立ち上り、黒焦げになった廃墟があった。

昭夫人は家の外に長い間立っていたが、車に戻る前に、何も言わないまま、天月剣を抜いた。項州はすぐに止めた。「まずは探そう!子供たちが見つからなかったら殺せばいい。夫人!」

昭夫人の気性では、潯東城市の全市民を殺してしまいそうで、項州は何とか説得した。

すぐに飛び回って、姜恒の行方をあちこち尋ねると、幸いにも少年が別の少年を背負って山に行ったことを聞いた。項州にも山に登って確認する間なく、大至急姜昭に知らせに行った。彼女は剣を持ち、焼かれた自宅の外にそのまま立っていた。項州の報せを聞くと、剣を鞘に戻した。生涯かけて修行した型通りに剣を戻すと、風雪の中に音が響いた。百里に届くという龍の吟のように。

 

幸い、姜恒はこの災難の中で生きていた。そして彼が無事だったため、潯東の庶民も命を取り留めた。さもなくば、姜昭は新たな大虐殺を起こしていたに違いない。

半時後、姜恒はやっと涙を止めたが、衛婆が遺体となって板車に横たわっているのを見て、また泣き出した。項州は車の前に座って老婆のために腹部の傷口を縫った。姜昭をかばって受けた一太刀が、彼女の肋骨の下を斬ったのだ。

 

「泣くんじゃありません!」隣に座って生姜湯を飲んでいた昭夫人は、いつもの姿に戻り、眉をしかめた。「煩わしいったら!」

姜恒は衛婆の冷たい腕を抱きしめ、しわくちゃになった手のひらを自分の顔に当てた。

衛婆が幼い頃から世話してくれた思い出が胸にあふれ、肝がつぶれるほど泣いた。

「死なない人がいますか?」昭夫人は普段の口調を取り戻した。「武術を習って人を殺す者は、最後はこのような結末になるものです。あれほど本を読んでいるのに、老荘はあなたに生死のことわりを教えなかったの?!学んだことは全て無駄になったってことなのね!」

 

耿曙は衛婆のもう一方の手を握り、震えて声を詰まらせた。項州は死体を処理し、「縫った。」と言った。「焼いたら骨を持って帰ってちょうだい。」と昭夫人は硬い口調で言った。

「母さん、私たちには家がありません。亡くなった衛婆を、どうしたらいいですか?」

「項州が衛家に帰らせます。」昭夫人は耿曙がたいまつを持っているのを見ると、前に出て、神祠の後ろで衛婆を囲む薪に火をつけた。火が燃え上がり、耿曙は姜恒、項州と並んで立っていた。昭夫人はまた冷ややかに「叩頭なさい!」と言った。姜恒は大泣きしていたが、注意されると耿曙と一緒にひざまずいて、火葬されている衛婆に叩頭した。

 

潯東県の城防官が率いる一群の里正が来て、控えていた。県官は戦死したが、鄭国は新しい地方官を派遣しておらず、援軍はまだ着いていないので、城市は暫定的に城防官を長とした。「昭夫人」城防官はうやうやしく言った。

「潯東の十万人の民があなたの行いに感謝しております。姜家は燃えたと聞きました。夫人はどうなさるつもりか、私目にお知らせいただければ…」

昭夫人は炎の前から振り向き、町の人達が続々と押し寄せてくるのを見た。

家族を引き連れ、彼女に向かってひざまずいて助けてくれた恩に感謝した。玄武祠の外から山の中腹まで、ぎっしりと、2万人近くがひざまずいており、黒い塊と化していた。姜恒は母を見て、何を言うべきか分からなかった。

昭夫人は冷淡に人々を見つめ、長い間声を出さなかった。

 

城防官は「城東の邸宅をかたづけるより、夫人にどこかに移り住んでいただいたほうが…」と言いかけた。昭夫人は容赦なく城防官の話を遮った。

「私は町を出て、あなたたちのために羋霞を殺しに行きました。」言葉には徹底した冷たさが込められていた。空一面に雪が舞い降り、2万人の頭に降り積もった。まるで陰鬱な気に覆われているかのようだ。

「その間にあなたたちは私の家を燃やして、私の子供をも焼こうとしたのです!」

昭夫人は突然姜恒をつかんで前に押し出し、人々にはっきりと見せた。

「恩知らずの連中!我が姜家には子供が二人いるだけだったから。恥知らずな輩は財産を奪うためなら、子供二人も放っておかない!」と怒った。

城防官はすぐに「昭夫人は怒りを静めてください。いい人間もいれば悪人もいるものです。城内の民にも…」と言った。

昭夫人は半歩踏み出し、人々は驚いたが、城防官は落ち着いていて退かない。

「私は今あなたたちの命を救ったことを後悔しているだけです。」と昭夫人は歯を食いしばった。「こうなると知っていたら、郢国軍を城内に入らせていた。奴らは殺し、あなたたちの居場所を燃やし、あなたたちの妻を犯していたでしょう。妻子と離れ離れになり、家が破壊され、人が死ぬ苦しみを味わえばいい。」

                           (昭ママ怖すぎ。)

一瞬、耿曙が祠の木をちらっと見ると、慌てて隠れたいくつかの姿があった。

姜恒はまだ衛婆の死に浸っていて、悲しくて涙を流していた。昭夫人が叩くふりをしたので、姜恒はもう我慢するしかなかった。城防官は平然と言った。「昭夫人の大恩大徳には、報いる術がありません。このことは私が責任をとるべきです。もし今日この命で償えるなら、そうしていただいても仕方ありません。」

昭夫人は軽蔑したように「ふん!」とつぶやき、最後に言った。「失せろ!みんな失せればいい!あなたたちには遅かれ早かれ報いをうける日がくると覚えておくがいい。この町には、遅かれ早かれ血に洗われた一日が来るでしょう。」

 

姜恒は母の恨みつらみの言葉に慣れていて、あまり驚かないが、昭夫人の手を揺らしたり、背中を触ったりして、怒らせないようにしようとした。城防官も一時離れた。もう、昭夫人自身がゆっくりと気持ちを落ち着かせるようにするしかない。

群衆が去ると、項州は物の整理を始めた。人々は姜家が焼きつくされたことを知り、次々と金と食糧を持ってきた。

昭夫人は「物は全部捨てて。このまま行きましょう。」と軽蔑したように言った。

項州は昭夫人を見た。姜恒は車から飴を持ってきて、昭夫人に叩かれそうになり、急いで戻した。項州は庶民から送られてきた食糧、お金、衣類を道端に捨てた。昭夫人はまた姜恒に「あなたの服も脱いで、車から捨てて」と命じた。

姜恒は母に逆らう勇気がなく、言うとおりにした。昭夫人は彼に元のぼろぼろの単衣を着させ、項州は外衣を脱いで、姜恒に掛けると、母子二人を馬車に乗せた。

「耿曙は?」姜恒は少し前に耿曙が立ち去り、どこかへ向かったのを見た。

「先に行くんです。」昭夫人はぴしゃりと言った。

「待って!耿曙が行かないなら、私も行かない!」

「あの子にはちょっと仕事を頼んだんです。あなたは行かないのならおいていくからいい。」

項州は「すぐに帰ってくるよ。母さんの言うことを聞いて、恒児(ハンアル)」と言った。

姜恒は馬車に乗り、項州は前に座って車を御した。馬車は山の中腹に着いて急に止まった。外から耿曙の声が聞こえてきた。姜恒は窓を開けようとしたが、昭夫人に止められた。

「見つかった?」と昭夫人は尋ねた。

「はい」耿曙は言った。

昭夫人は車の中で「傷でいっぱいにしたら、蜂蜜をかけて、山の下に投げておきなさい。」と言いつけた。「何?」姜恒は尋ねた。外は静かで、音が聞こえない。

「何でもない。」耿曙は車の外から答えた。「先に行ってて。すぐに追いつく。」

姜恒は耿曙の話を聞いて安心した。項州はまた馬車の手綱を振り、車は山を降りた。

 

耿曙は人の半分ほどの高さの草むらに立っていた。手足を切られ、口の中を布巾で塞いで、虫の息でうめき声を上げていた3人のごろつきに向かい、長い間沈黙してから、ため息をついた。彼は最後に昭夫人の言いつけられたとおりにはせず、3人を木に吊り下げた。馬車はしばらくまた走っていた。外から足音が近づいてきて、耿曙が車の前に飛び乗った。「あなたなの?」と姜恒は言った。「うん、ただいま」

項州は衛婆の骨を渡し、抱かせた。姜恒正は耿曙を中に入れようとしたが、目を閉じて瞑想していた昭夫人は眉をひそめた。

 

「いつも家を出たいと思っていたでしょう。」と昭夫人は言った。「今、あなたの願いがかなって、家は燃え、あなたのおばあさんも死んだのに、なぜ喜んで行こうとしないの。」姜恒は衛婆のことを思い出して泣き出し、昭夫人はまた淡々と言った。

「あとは私が死ぬまで待っていれば、あなたはあの私生児と一緒に私を送り出して、そのあとはもう二度と帰ってこないでいい。」姜恒はそう言われると、死ぬほど苦しくなった。

 

馬車の外では、耿曙が項州に「これからどこに行くんだ?」と尋ねた。

「さあ。」項州は、「夫人に聞いて。」と答えた。

一問一答、雰囲気は白けた。姜恒は母親を見た。とても悲しい表情をしていた。

昭夫人は長い間黙っていたが、苦しい呼吸の中、喉の生臭い甘い血を飲み込んだ。

そして、しばらくたってから歯の奥からつらそうに一言絞り出した。

「洛陽」